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「JA共済」小・中学生
作文コンクール

2016年度 第52回 受賞作品

日本農業新聞賞

他と違うから

久留米市  福岡教育大学附属久留米中学校2年影山 蒼

 言われて傷つく言葉が誰しもあると思う。

僕にとってそれは、

「左利きなんだ。めずらしいね。」

という言葉である。左利きの僕にとってこの言葉は何だか不快に感じてしまう。

「左利きなんだ。めずらしいね。」

何度言われたか数え切れないほどだ。以前に言われたことがある人にも言われる、そんな言葉は聞き飽きた。

 左利きはそんなにめずらしいだろうか。もちろん、右利きの人と比べれば少ないかもしれない。でも、自分の知っている人に一人や二人いないだろうか。そもそも、右利きと左利き、そんなに違いはない。右が中心になっていて、それと少し変わっているだけだ。そんな左利きとして学んだことがいくつかある。

 まず、左利きの日常を見てほしい。

 何よりの苦労は「字を書く」という動作だ。鉛筆・シャーペンは擦れて手が汚れる。ボールペンはインクが伸びてしまう。習字は、字を書くことすら難しい。筆は右利き用だ。止め・ハネが不可能だ。

 他にもある。電車の改札は、左手でICカードをタッチしようとすると手がクロスしてしまう。スポーツ用品を買おうとすると、どうしても高くなる。ハサミで物を切りにくい。腕時計、壊れないように右腕にすると、ネジ回しが回しにくい。ドアノブも回しにくい。急須でお茶を入れられない。テーブルで何か食べようとすると、隣の人とひじがぶつかる。ちょっとしたことだが、気にしたくなくてもイライラしてしまう。正直、左利きということが嫌だった。

 しかし、最近、テレビで左利きの芸能人が出ているところを目にするようになった。そこで、

「左利きって不便なんです。」

というような言葉を聞くと、共感でき、同じ思いをしている人がいることで少しイライラが落ち着く。また、こんなことも言っていた。

「でも、左利きの人にしかできないことだってたくさんあると思います。」

そんな考えもあるのかと、新鮮だった。もっと「左利き」ということを前向きにとらえていきたいと思った。

 また、「バリアフリー」や「ユニバーサルデザイン」という言葉を耳にしたことはないだろうか。この二つの言葉は、障害者や高齢者やその他のみなさんの生活に不便などを取り除こうという考え方。そのためのデザインが二つの言葉の意味だ。僕は、この考えがすごく好きだ。このような考え方がなくても何一つ不自由はないかもしれない。だが、その考え方が存在していることが嬉しい。少しでも思いやってくれる人がいるという証拠でもあるからだ。

 更に、あるとき、スポーツでの左利きの有利さを知り、驚いた。例えば、バレーボール。左利きの選手が右利きの選手のブロックをかわしてアタックを決めている。テニスだってそうだ。左利きの選手の左側のコートにはすきがほとんどない。野球、ボクシングまでもだ。選手の中には、右から左利きに矯正する選手もいると知り、そのときは、さらに驚いた。

 「左利き」ということに苛立つこともあったが、左利きなりの良さや、左利き向けのものがあるということを理解しておきたい。

 今回、この作文では、「左利き」について書いたが、左利きということ以外にも他と少し変わっているということはたくさんあると思う。そこで改めて感じたのは、

「みんなちがってみんないい」

ということ。金子みすずさんの詩の題名でもある。簡単な内容は、飛べる小鳥や音の鳴る鈴のようなことはできないけれど、「わたし」にしかできないこともある、ということ。まさにそのとおりだと実感した。

 今、様々な場面で、周りに合わせようとする。だが、そのようなことをしなくても、自分の思ったように、貫こうという固い意志があればそれでいいと思う。また、自分自身、左利きという不便に感じるようなことも、理解してくれる人がいて、決して悪いことばかりではないことを頭に入れていきたい。そして、個性だと思えるようになりたい。そうすることで、他のどんなことに対しても「他と違うから」なんていう小さなことをいちいち気にせず、本当の自分として生きていけると思うから。

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