2025年度 第61回 受賞作品
福岡県知事賞
受け継ぐ日
糸島市立 志摩中学校2年有田 彩花
その日は、透き通るような青空だった。
先日、私のひいばあちゃんが亡くなった。正直に言うと、私にはあまりひいばあちゃんとの思い出がない。なぜなら、私が物心ついた頃にはひいばあちゃんは老人ホームに入っていたからだ。それでも、面会などのときには必ず会って自分なりに会話をするようにしていた。私の中のひいばあちゃんは、「おだやかで優しい人」という印象のまま、止まっていた。
しかし、お葬式が終わり、形見分けやひいばあちゃんの家の片付けなどを手伝う中で私の知らない、新しい「ひいばあちゃん」に出会うこととなった。
一番驚いたのは、部屋の押し入れに、たくさんの竹細工があったことだ。竹細工とは、竹を加工して編み込み、かごなどの細工物を作ることだ。それはどれも、お店で売っているものとは違う、力強さと繊細さが同居した不思議な魅力をもっていた。母に聞くと、それはすべてひいばあちゃんが山に行って竹を割り、編み上げたものだという。
「ひいばあちゃんってこんなに器用な人やったと?」
私が尋ねると、母は懐かしそうに目を細めた。ひいばあちゃんはただ静かに座っているだけの人ではなかった。山に入って良い竹を選び、それを細いひご状にして、何日もかけて一つの形にする。その作業は想像以上に力が必要でとても根気のいる仕事だ。ひいばあちゃんのあの細い指先の、どこにそんな力が隠されていたのだろう。私は一つ、竹かごを手に取ってみた。指先に触れる竹の節の感触が、ひいばあちゃんの生きてきた時間を語りかけてくるようだった。
ひいばあちゃんの多趣味さは、それだけにとどまらなかった。亡くなった後、遺品を整理していた時に見つけた一枚の写真。それを見た瞬間、私は思わず息を呑んだ。そこには、今の庭からは想像もつかないほど、色鮮やかで力強い花々が溢れんばかりに咲き誇る光景が収められていたからだ。
今の庭にはもうその面影はあまり残っていない。けれど、写真の中のひいばあちゃんは満開のシャクナゲや菊に囲まれて、照れくさそうに、でも誇らしげに微笑んでいた。
これほどまでの庭を作り上げるのに、どれほどの手間と時間がかかっただろう。季節ごとに土を入れ替え、病気にならないように見守り、毎日欠かさず水をやる。私は今まで、ひいばあちゃんのことを「おだやかな人」だと思い込んでいたけれど、写真の中の花々は、ひいばあちゃんが誰よりも情熱的で、命を育てることに一生懸命だったことを物語っていた。
自分が楽しむためだけでなく、道行く人や、訪ねてくる家族が明るい気持ちになれるように、ひいばあちゃんは、泥にまみれ、腰を曲げながら、この小さく温かい庭を守り続けていたのだ。
写真の中で鮮やかに咲いている花たちは、あまりひいばあちゃんと関わることができなかった私に、
「ばあちゃんはこんな風に生きてたんだよ。」と、ひいばあちゃんの代わりに語りかけてくれているようだった。
さらに、我が家の食卓に並ぶお米にもひいばあちゃんの面影が残っていた。それはひいばあちゃんが私の祖父母と一緒に守り続けてきた大切な宝物だった。
亡くなった後、母から聞いた話では、ひいばあちゃんは他の趣味に加えて畑やお米まで管理し、受け継いでいた。私が当たり前のように食べていた真っ白なごはんの一粒一粒には、ひいばあちゃんと祖父母が泥にまみれて注いだ、たくさんの愛情が詰まっていたのだ。何も知らずに過ごしていた自分が恥ずかしく、そして申し訳ない気持ちで胸がいっぱいになった。
けれど悲しんでばかりはいられない。祖父母は今も、想いを受け継ぎ、田んぼに立ち続けているからだ。
ひいばあちゃんが残した竹細工の数々、写真の中で咲き誇る花々、そして祖父母へと託されたお米づくり。それらすべてが、私に大切なことを教えてくれた。「丁寧に生きること」「何かに一生懸命に取り組むこと」そして「自分の手で何かを生み出す喜び」だ。ひいばあちゃんがいなくなったことは寂しいけれど、この「ひいばあちゃんとの別れの日」は、私にとって「新しいひいばあちゃんと出会えた日」になった。あまり関わることがなかったひいばあちゃんが、今はとても近くに感じられる。
ひいばあちゃんが受け継いできたもの。それを今度は私たちが受け継いでいきたい。