2025年度 第61回 受賞作品
福岡県知事賞
失われた日常の先に
宗像市立 中央中学校1年許斐 ちな
「五箇所折れてますね。」
診察室で医師にそう言われたとき、頭をがつんと殴られたような衝撃が走った。あまりにも予想外のできごとで、思わず笑いがこぼれてしまった。確かに、階段から足を滑らせたときは痛かったけれど、まさか五箇所も折れているだなんて、夢にも思っていなかったのだ。けれど、きっとそれは余ゆうから出た笑いではなく、現実をうまく受けとめきれなかったのだと思う。その後、私は松葉杖をついて病院を出た。思ったより難しく、少しでも油断すると体がかたむいてしまう。力が変に入り、うまく進めない自分にとまどった。歩くというあたり前の動きがこんなに大変なことだったのかと、このときはじめて実感した。でも正直、
「まあ、どうにかなるだろう。」
そう思っていた。確かに不便だが、少し我慢すればすぐに元通りになる。やけに曇った空を見上げながら、私はそう思った。
次の日、学校に着いてすぐ
「車椅子に乗ろう。」
と、先生に言われた。そんなこと一つも聞いていなかった私は、心の準備も何もできていないまま、車椅子に乗せられた。移動がしやすくなるように先生が考慮してくださって廊下側の席に移動することになった。気遣いはありがたかったが、大好きな友達と離れることは、私にとって少し辛かった。でもそれ以上に、そのときは、廊下を通る人、朝教室に入ってきたみんなにジロジロ見られるのが恥ずかしくて、情けなくてたまらなかった。みんなの前では平然を取りつくろっていたけれど、本当は今すぐにでも逃げ出してしまいたかった。
一時間目が終わり、やっと事の重大さを理解してきた私は、もう一つある問題に気がついた。今、私のこの足では、次の授業の教科書を取りに行くことさえできないのだ。幸い、友人が毎授業私の分まで取ってきてくれることになった。自分の準備すらできないだなんて、情けなくて仕方なかった。そうじの時間も、私は何もできず、己の無力さに打ちのめされた一日だった。家に帰ってからも、玄関でくつを脱ぐこと、物を運ぶこと、段差をこえることなど、今まで簡単にできていたことが急に高い壁のように感じられた。風呂でさえも、包帯がぬれないよう、工夫して入らなければならない。上手く入ることができず、びしょ濡れになってしまった包帯を見つめながら今日までのことを思い返した。悔しくて、虚しくて、どうしてもっと気を付けて階段を降りなかったのだろうと何度も後悔した。「後悔先に立たず」という言葉があるように、どれだけ悔いても、もうどうにもならないことなどとうに分かっていた。それでも、そう簡単に気持ちは切り替えられなかった。
一生懸命練習を重ねてきた部活動の演奏会には、参加することさえ叶わず、次第に学校へ行くことも怖く感じるようになった。松葉杖で歩く姿を見られることや、また誰かに迷惑をかけてしまうという思いが重なり、私は少しずつ気持ちを閉ざしていった。
ある日、そんな私に母がかけてくれた言葉がある。
「できない自分を責めなくていいんだよ。今の経験は、この先必ず力になる。」
私はハッとした。自分を責めて、失ったものばかりを考えてしまって、支えてくれていた家族や友人、この経験から得られるものに目を向けていなかったのだ。そのことに気付いたとき、支えられていることのありがたさを強く感じた。この経験を通して、足に障害をもっている人や、体を自由に動かすことができない人が、生活している中でどれほどの苦しさ、不便さを抱えているのかに気付くことができた。風呂に入ること、段差をこえること、物を運ぶこと、当たり前のことが簡単にはこえられない高い高い壁になる。私は身をもって感じることができた。これまで、支えられる側になるなんて思ってもみなかったけれど、周りの人の優しさに助けられ、救われてきた分、今度は私が周りの人や誰かの力になりたいと強く思う。足を折ったせいで、たくさん苦しい思いをしてきたけれど、だからこそ得ることができた気付きがある。この気付きを、私と同じ思いをしている人に届け、伝えたい。これからは、そんな思いをしている人、困っている人に自然と手をさしのべられるような人になりたい。今度は、私が恩返しをする番だ。