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「JA共済」小・中学生
作文コンクール

2024年度 第60回 受賞作品

RKB毎日放送賞

祖父と私とお米と

私立  飯塚日新館中学校2年野相 幸太郎

 私は今、身長百六十五センチメートル、体重六十キログラムです。小学生の頃から、とにかく体を動かすことが好きで、よく食べる方でした。給食で食パンを五枚食べたこともあります。中学生になり、さらに食べる量がぐんと増えました。食事のときには、必ずご飯は大盛り二杯、一杯目はその日のおかずと一緒に、二杯目は納豆ご飯にして食べます。納豆とご飯が混ざり合うと、最高のご飯になります。そんな私ですが、ここまで元気に過ごし、大きくなることができたのは、祖父母が作ってくれたお米や野菜のおかげだと言っても過言ではありません。
 私には、今年七十九歳になる祖父がいます。その祖父は、祖母と一緒にお米や野菜を作っていました。祖父の家には自分の田んぼや畑があって、そこでお米を作ったり、野菜を育てたりしていました。
 夏には、キュウリ、トマト、ナス、オクラ、ピーマン、ぶどう、冬には白菜やほうれん草、大根、春菊、ブロッコリーを食べきれないほどたくさん届けてくれました。特に、私たち家族全員、ブロッコリーが大好きで、食事のときにブロッコリーが出てくると、我先にとブロッコリーに飛びつきます。私は、蒸した熱々のブロッコリーにマヨネーズをつけて食べるのが一番お気に入りの食べ方です。祖父母が届けてくれる野菜は、とにかく大きくて立派で、どれも美味しいものばかりでした。食事に含まれている野菜のほとんどが、祖父母の野菜で埋め尽くされていることも多々ありました。お米はもちろん、どれも最高に美味しかったです。
 祖父は長年、仕事として、農業開発やお米の品種の研究、お米の育て方の研究などを続けてきました。「お米の話を始めると話が止まらなかったよ。」と私の母が言うぐらい、稲作についての知識がとても豊富だったようです。退職してからも祖父は、祖母と一緒にお米や野菜をたくさん作り続けていました。
 しかし、最近は今までのようにお米を作ったり、野菜を育てたりすることができなくなりました。それは、祖父の認知症が進んできたからです。認知症になった当初は、変わらず農作業をしてお米や野菜を作っていたのですが、だんだんと歩くことが難しくなり、自分で体を支えて起き上がることができなくなってきました。今では、ベッドの上で過ごす時間がほとんどのようです。畑も今は手つかずの状態です。田んぼは、数年前から知人に頼んで、お米を作ってもらっているそうです。私は、祖父がつい数ヶ月前まではできていたことが一気に難しくなってしまい、とても驚きました。
 中学生になって、私も勉強や部活動中心の生活になり、祖父に会う機会も少なくなりました。今年のお正月に、約一年ぶりに祖父とゆっくり会うことができました。最近はずっと目を閉じて横になっているそうです。しかし、私たちが会いに行ったときには目をしっかりと開いて、目が合うと「わかるわかる」と言ってくれました。会う前までは、私の名前を忘れていないか不安だったけれど、私の顔と名前を覚えてくれていて、とても嬉しかったです。
 私は今、勉強で学年一位、部活動で全国制覇を目指しています。朝早くから夜遅くまで頭と体を酷使しています。勉強や部活動に全力投球できるのも、元気な体が資本となっています。それは、今まで祖父母が作ってくれていたお米や野菜のおかげです。それがどんなにありがたいことだったかを今、ひしひしと感じています。「食べること」「体が資本」それを支えてくれたのは、間違いなく祖父母です。
 私が直接的に祖父にできることはほとんどないのかもしれませんが、私がしっかりお米や野菜を食べて、元気な体で色々なことに挑戦して、全力投球することが、祖父への恩返しになるのではないかと思っています。祖父の作ったお米や野菜はもう食べることが難しい状況です。ですが、今食べているお米も野菜もお肉も魚も、農家や酪農家、漁業に携わる方々が、届ける人のことを思って、心をこめて作ってくださっている食べ物です。「食べること」、それは「生きること」。一食一食を大切に、これからも「祖父のこと」、「食べること」、「生きること」について考え続けていきたいと思います。

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