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「JA共済」小・中学生
作文コンクール

2016年度 第52回 受賞作品

西日本新聞社賞

祖父の年賀状

北九州市  福岡教育大学附属小倉中学校2年潮下 結愛子

 「何事も、神は努力をした時に褒美を与えてくれたように思い、それを思い出すと少しは心が和んできますが、でも今になって、自戒させられることが多々あります。それでも余生を楽しくと思えば、やはり努力なのでしょうか。」この文章は今年の祖父からの年賀状に書かれていたものです。

 八十を過ぎた祖父はとても努力家でいつも自分のできることを、頭と体を使ってこつこつとしています。そんな祖父の年賀状の文章に自分自身いろいろと考えさせられました。

 私は日々どんな努力を積み重ねているのでしょうか。今は学校生活、部活動、塾通いに日々追われて毎日がバタバタと過ぎています。朝五時半に起きて、部活動の朝練をして、授業を受け、放課後も部活動、そしてそのまま塾通いで帰りは十時。このような生活をしていると、それだけで「努力」をしているような気持ちになっていましたが、それは間違いでした。

 祖父は祖母と二人の生活をしていますが、少し体の不自由な祖母を献身的に支えています。日々の生活のことはもちろん、そして家族を支えることにもとても努力しているのです。もちろん自分の時間も作って野菜や果物を作っては、孫達に送ってくれたり、近所に配ったりと、皆に喜んでもらう努力も忘れません。

 お正月に箱根駅伝を見ていて、ある選手が

「ここまで走れたことは、努力を続けたことと諦めない気持ちです。」と言われていましたが、それを聞いてこれが祖父の言う神からのご褒美なのだと、とても和んだ気持ちになりました。

 私の目の前の努力は、まだ小さいことからしか始められそうにないですが、ひとつひとつをやっていかなければいけないという気持ちになりました。

 学校生活の努力はもちろんですが、今私に足りていないことは、家族への思いやりやボランティア活動など人のための努力かもしれません。

 家族へはどんなことができるでしょうか。よく長期休暇に「家の手伝い」という宿題がありますが、それはいつしても良いのです。そしてそれ以外にも、自分でここはできると思うことをしようと思います。私には二人の兄がいます。高三と高二で兄達もとても忙しそうにしています。だからまず自分のことは自分でして、そしてさらに家族のためにできることを見つけてできればいいなと思います。

 ボランティア活動は、地域の清掃などしか参加したことがありません。このところ各地の災害で、多くのボランティアの参加の話を耳にしたことがあります。実際私の従姉妹が東日本大震災のボランティア活動に参加して、いろいろと話をしてくれたことがあります。一番印象に残った言葉は「実際に参加してみなければわからない」ということでした。ボランティア活動という言葉は、時にはとても人を傷つけているような気がしたと言います。それは好きで困っているわけでもないのに、ボランティアという支援の言葉が、被災者をただ申し訳ない気持ちにしかさせないからだそうです。困っている人を応援したい、逆に困っている時に応援してくれる人がいる、それが普通のことだと強く感じたらしいです。

 もちろん自分の年齢もありできる事は限られていますが、自分にできる小さなボランティアを忘れないでいたいと思います。

 学校生活、家の手伝い、ボランティア活動などは当たり前のことであって、祖父の言う「努力」とは少し違うのかもしれませんが、努力を続けて諦めない、そうしたら私にもいつかずっと先かもしれませんが、神様がご褒美を与えてくれるかもしれません。

 私は祖父が大好きです。お正月には、手作りの干柿や門松を届けてくれました。祖父は、親戚誰もが目を見張る程の努力家です。そして誰に対しても平等で、とても優しいので祖父の周りにはいつも人が集まっているような気がします。それもきっと神様のご褒美なのでしょう。

 来年の祖父への年賀状には、今自分が努力していることを一つでも書けるように、前を向いて一日一日を大切に生きていきたいと思います。

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