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「JA共済」小・中学生
作文コンクール

2024年度 第60回 受賞作品

全共連福岡県本部運営委員会会長賞

ぼくとおじいちゃん

宗像市立  日の里中学校3年毛利 侑宇

 十二月になると決まって、たまにしか鳴らない家の電話が鳴る。
「冬休みになったか?正月はいつ帰ってくっとか?」
 電話からもれ聞こえてくる声は、筑後弁独特のイントネーション。そしてその電話にちょっとめんどくさそうに返答する母。
「いつ帰るかはこの前お母さんと話したから、お母さんから聞いて。」
 家では毎年このやり取りが行われる。十二月の我が家の恒例行事みたいなものだ。普段は全く電話なんてしてこない祖父が、冬休み近くになると必ずかけてくる。それも帰省する日が決まるまで、何日も。毎年のことだから母も優しく返せばいいのにと思うが、母も毎年、祖父に冷たい。だから、いつも母は父に言われている。
「もっとお義父さんに優しい言い方で返事してあげなよ。」
 母と祖父の間には、僕たちにはわからない何かがあるのか。親子って難しいなと思う。
 そしてこの我が家の恒例行事がなくなってもう二年が経とうとしている。
 二年前の秋も深まったころだった。
「おじいちゃんが救急車で運ばれたらしい。また脳こうそくだったって。意識がないって言っている。」
 今まで見たことのない顔つきで母は僕たちに伝えてきた。実はこれまでも数回、祖父は脳こうそくを起こしたことがあった。しかし、これまでは脳こうそくを起こしても気づくのが早かったことが幸いし、後遺症もなく日常生活を送ることができていた。
「俺は不死身やけんねえ。」
と笑いながら冗談交じりに言っていた祖父の言葉がふと僕の頭に浮かんだ。だが、どうも今回は様子が違うらしい。いつもと違う。母が急いで祖父のもとに向かおうとしている。一命はとりとめた。しかし、ICUに入って一ヶ月。意識がない状態が続いている。あの日、慌てて祖父の元に向かった母は、たくさんの管につながれた祖父を見て涙が止まらなかったと父に話していた。大きな声で話しかけても、
「お父さん。お父さん。」
と呼んでも、眉一つ動かすことがなかったそうだ。じいさん、不死身って言っていたじゃないか。早く目を開けて、また一緒に温泉に行こうよ。中学生のため病院に行っても病室に入ることができない僕は、遠い宗像の地で祖父の無事を祈ることしかできなかった。
 年が明けたころ、祖父の意識が戻ったとの知らせが来た。家族みんなで喜んだ。しかし、やはり今回はいつもと違っていた。祖父に後遺症が残ったのだ。右半身麻痺と言語障害。左脳を痛めたため右手が動かず、発語ができなくなった。リハビリをしても、元通りになるのは難しいと言われたそうだ。
「命があってこそ。もしかしたら喋れるようになるかもしれんやん。どげんなるかわかんめぇが。」
筑後弁で力強く言った祖母の言葉が頼もしかった。そう、わからない。右手が動くようになるかもしれない。言葉が出るようになるかもしれない。命があれば奇跡は起こるかもしれない。これまでもそうやって元気になってきたのがじいさんではないか。
「おい、ゆう。元気か。」
と、筑後弁特有の語尾が上がるイントネーションで僕に話しかける祖父に、再び会えると僕は信じている。
 そして祖父に会えないまま、三回目のお正月が来ようとしている。様々な感染症が流行すると面会に制限がかかったり、部活動や塾が忙しかったりして、なかなか祖父のもとに行けないまま月日だけが経ってしまった。その間祖父は施設に移り、車椅子で移動できるところまで回復した。右半身の麻痺と発語はないままだが、顔つきはふっくらしていると母と姉から聞いている。
「面会時間の十五分間、何話すか、いつも悩むよね。一方的に話すのも難しいよね。」
と母と姉からの報告を受ける。我が家でもおしゃべりな二人が困るんだから、僕は大丈夫だろうか。今年のお正月、いよいよ祖父との面会ができる。二年ぶりに会う僕の姿を見て、身長が伸びた僕の姿を見て、ちょっと大人びた顔つきになった僕を見て、祖父は驚くだろうか。楽しみと緊張が入り混じった不思議な気持ちで、年越しをしている僕がいる。

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