2024年度 第60回 受賞作品
全共連福岡県本部運営委員会会長賞
自分のこととして
北九州市立 洞北中学校2年丹野 生路
「ねぇまだー?」「あともう少しかなー」
弟は長いドライブでもう我慢の限界だ。それでも車内はワクワクの雰囲気で満ちていた。私たち家族は暗いうちから車で福岡から広島まで初詣に向かっている。前にテレビで見てからずっと嚴島神社に行ってみたかった私は、お兄さんぶっているものの弟と同じで、いや、それ以上にそわそわしながら、だんだんと明るくなっていく広島の街並みを車窓から眺めていた。
ようやく着いた。やっと車から降りることができたが、今度はフェリーで宮島までの移動だ。また移動か。だけどその移動すら楽しい。キラキラ光る海の上を、冬の冷たい風を受けて進むフェリーからの景色は、ちょっと暖房の効きすぎた車から降りた今の私には、とても清々しく開放的に映った。
フェリー乗り場の建物を出ると、まるで大蛇かと言わんばかりの行列が現れた。本殿の参拝待ちの行列だ。そんなことまで巳年にちなまなくてもいいのに。参道に負けじと並ぶ屋台の列の大蛇があり、出来立てのもみじ饅頭をほおばりながら、弟とじゃれて列からはみ出し「ちゃんと並べ」と父から苦言をもらいながらも、ゆっくりゆっくり進む人の列に私はごきげんだった。
そして行列の先で見たものに私は圧倒された。鳥居と同じく海に浮かぶ朱色の回廊の中に、どんと構えている本殿は異様なまでの存在感を放っていた。これが平安時代から形を残していることに、驚きというよりは感動すら覚える。それは、当時の人々による創建はもちろん大変なのだろうが、その後の修復や整備を幾度となく繰り返し、長く維持し存続することが、何より難しく大変なことだと思ったからだ。だから、人間の物を生み出すことや、それを維持していくことの力や考え、技術のすごさに改めて感動した。
その後、日本の伝統的な楽器と、そのリズムに合わせて舞いながら歌う御松囃子を鑑賞した。これも人間の生み出す文化だ。その独特で日本古来という感じだが、妙にくせになるリズムを聞きながら、趣のある回廊を歩き、私は当時ここに立っていた人のような雅な気分にふけっていると、もうお昼を過ぎていた。
でも楽しかったのはここまでだった。
父に連れて行かれるがままに原爆ドームに行った。ドーム状になっている部分は鉄骨だけが焼け残り、壁のレンガも焼けて色あせていた。それを見て私は廃墟やお化け屋敷みたいだなと思った。どことなく現実味がなく、作り物のような印象を感じながら、戦争という、今の私の生活からは程遠い言葉を思い浮かべながら歩いた。
平和記念資料館に入った私は、衝撃と驚きで言葉も出なかった。資料館では被爆者の写真や遺品、原爆投下まで何気なく日常を送っていた人たちの生き様、それを一瞬で破壊した核兵器の脅威と被害の様子を目の当たりにした。私は投下当日のプロジェクションマッピングを見て今更ながら、本当に起こったことだったのだと自覚することになった。たった人間二人分ほどの大きさしかない爆弾で、広島市の約九割以上が絶大な範囲の被害を受けた。この事実を前にして、私は胸が張り裂けそうなくらい苦しくなった。もし自分や自分の大切な人たちに起こったらと思うと、鼻の奥が痛くなり涙が出そうになった。さっき原爆ドームを見たときに、作りもののように感じたのは、私が戦争について「他人事のように捉えていて」全く想像が足りていなかったからだと気づき、すごく恥ずかしいとか申し訳ないとか悲しい気持ちと、逆に今気づけて良かったという少し安心したような気持ちが混じって、複雑な気持ちだった。
資料館から出て呆然としている私に、父は「お父さんも学生のときに資料館を見て、今のお前と同じ顔をしてたなぁ。」と苦笑いをし、私と同じで初めての母は「見ることができて良かった。」と言った。私も母と同じことを思った。
帰りに原爆ドームの前を通るときには私の心情は大きく変わっていた。広島の活力のあふれた様子が、原爆投下で一瞬で焼け野原になり、悲鳴と叫び声に変わっていく様を鮮明に連想させられ、戦争の悲惨さや痛みを自分なりに受け止めることができた。嚴島神社では、人間が物を生み出せることや維持していくことのすごさに感心していたけど、その逆で、それらを一瞬で破壊することができるのも人間なんだと深く考えさせられた。人間が何を考えているのかわからなくなって少し怖い感じにもなった。父は「だから自分で考えることが大事なんだろうね。」と言った。嚴島神社のような美しい文化を残すことも人間の考えと行動によるものだが、原爆ドームのようにそれを一瞬で破壊することも人間の考えと行動だ。だけど、負の遺産として原爆ドームを残していることも人間によるもので、それは今を生きる私たちへの戒めとして残されている。考えるきっかけをもらっている。「他人事じゃない」「自分で考えること」これが私が初詣で学んだことだ。
私はこれまで多くのことを自分とは関係のないことだと深く考えることがなかったように思う。だけどそれでは、それぞれ考えることの違う人たちと関わる中で、自分にとってよくない方向や結果になってしまうのではと思った。それこそ戦争のような全く望んでいないことのように。多くの情報や多くの人との関わりから、多くを自分のこととして考え、自分で選んでいけるようになりたい。