2024年度 第60回 受賞作品
福岡県教育委員会賞
私の「おばあちゃん」
福岡市立 野間中学校2年栗原 希有
少しずつ、心拍数が減っていく。モニターの表示では、かろうじて「呼吸数2」と表示されていたが、ベッドに横たわる祖母は、もうほとんど息をしていなかった。昨日あんなにも苦しんでいたのは、命が尽きるまでの最後の抗いだったのかもしれない。もう向こうに行かなければいけないから、最後に家族の姿を目に焼きつけようと、あんなに目を見開いていたのかもしれない。そんなことを思いながら、静かに呼吸を止めた祖母を覗きこむ。安らかな顔をした彼女は、うっすらと記憶に残っている、昔の優しい「おばあちゃん」の顔をしていた。
祖母は、八年前に認知症になった。その頃、私はまだ小学生になったばかりだったので、病気を発症する前の祖母との思い出はあまり無い。老人ホームで面会する祖母はいつも穏やかで、父の話に「そうですね」とゆったりと相づちを打っていた。当時の私は、まだ認知症についてよくわかっていなかったので、「同じことしか言わないのはなぜだろう」と思っていたのを覚えている。
私が成長していくのと並行して、祖母の症状はどんどん進行していった。そして、ついに口から食事をすることができなくなったとき、祖父と父は、胃ろうするかどうかの決断を迫られた。胃ろうとは、お腹に穴を開け、そこにチューブを通して、胃に直接食べ物を流しこむ方法で、口から食事をすることができない人でも、栄養を補給することができる。これをすればあと数年は生きられるが、胃ろうをせずに水分のみで生活した場合、余命はたったの一か月ほど。もちろん、祖父と父は胃ろうをするという選択をとった。祖母が亡くなってから、父にその時の話を聞いたことがある。父は、「親父の気持ちを考えると、胃ろうをしないという選択はなかった。けれど、本当にこの選択が正しかったのかとも少し思う。もし自分だったら、胃ろうは望まない。」と言う。正直、私は祖母がかわいそうだと思った。寝たきりになってご飯すら食べられず、なにもわからないまま息をすることは、祖母にとって幸せな時間になるのだろうか。そんな形でも、「生きていてくれてうれしい」と祖父は思っているのだろうか。祖母は、本当の意味で生きているのだろうか。
生気を失ったような祖母を見たくないという気持ちは、胃ろうについて考えるほどに大きくなり、だんだんと祖母の見舞いについていくことが減っていった。しかし、そんな考えが大きく変わった出来事が起こる。
亡くなる四か月ほど前、祖父が骨折し、祖母と同じ病院に入院したことがきっかけで、祖母のもとにもよく訪れるようになった。病棟はアルコールのにおいが充満していて、あまり好きではなかった。祖母はいつ行ってもうつろな目をしていて、もう相づちすら打てない。父や母から聞いた「おばあちゃん」はもういない。編み物が上手で私の服を編んでくれたおばあちゃん。看護師をしていて、しっかりした人だったというおばあちゃん。かすかに覚えている、小さい私を抱っこしてくれたおばあちゃん。やっぱり、もう祖母を見るのが苦しかった。こんなのもう死んでいるほうがましじゃないか。黙ったまま下を向いていたとき、祖母がなにか言おうとして、口を動かした。「え?」と聞き直してみても、同じことは言えないようで、祖母はまた口をつぐむ。おばあちゃんは生きている、ちゃんと生きようとしているのだ。胃ろうを選択してでも祖母に生きてほしかった祖父の気持ちが、少しわかったような気がした。
それから、祖母を見舞うのがだいぶ楽になった。「今日は寒いよ」だとか「もう二年生になったよ」のような、他愛もない話ばかりだったけれど、祖母がちゃんと聞いてくれていると思うとうれしかった。
お通夜前日の晩、私と両親はお葬式の会場に寝泊まりした。認知症になってからずっと祖母を見守ってきた父は、温和な表情で祖母について話してくれた。特に驚いたのは、亡くなる一週間ほど前に起こった話だ。県外に住んでいる伯母、つまり父にとっての姉が見舞いに来て、久しぶりに家族全員がそろったとき、祖母はいつもと全然様子が違ったそうだ。「目を見開いてなにかを必死に伝えようとしていて、ちゃんと家族だってわかってるみたいだった。」と、父も驚いているようだった。どれだけ脳が忘れても、心が「大事な人」だと覚えているのだなとしみじみ思った。父はうれしそうだった。
認知症は、物忘れから始まり、最後には寝たきりにまでなってしまう、本当に恐ろしい病気だ。そしてそれを止める薬も無く、認知症と向き合うことは、患者にとってもその家族にとっても辛い。けれど、私がこんなにもすっきりとした気持ちで旅立ちを見送れたのは、認知症とも、祖母とも逃げずに向き合ったからだ。最後まで呼びかけ続けた私の声は、きっと祖母に届いていたと思う。「後悔を残さないように、きちんとお別れする」祖母からの最後の教えを胸に、今を生きようと思う。