2023年度 第59回 受賞作品
全共連福岡県本部運営委員会会長賞
私がめざす社会
古賀市立 古賀北中学校2年高柳 愛衣
「その子、どんな子なの。」
弟のクラスに外国から来た子がいるらしく、気になって私は尋ねてみた。
「肌が黒くて、よく分からない言葉をしゃべってる。外国人ってなんか嫌だ。」
弟の口からそんな言葉が出てきたとき、私は強い衝撃とショックを受けた。「それはちがう」とすぐに否定したけれど、その後の言葉が出てこなかった。きっと、偏見についてあまり深く考えたことがなかったからだと思う。弟は小学一年生。まだ何でも物事を見えているものだけで判断してしまう年齢かもしれない。でも、どうしても弟の言葉が忘れられなかった。
日本に住んでいる外国人が、今、安心して日本生活を送ることができているのか気になり、法務省が出している「外国人住民調査報告書」を読んでみた。「過去五年間の間に日本で外国人であることを理由に侮辱されるなど差別的なことを言われた経験」に対する回答で「よくある・たまにある」と答えた人は全体の約三十パーセントだった。「差別的なことを言われた」という人が三十パーセントもいるのなら、差別的な目で見られたり、さりげない態度で示された、と感じている人はもっと多いのではないか。本当に日本はこれでいいのだろうか。
私の中で、外国人は日本にはない興味深い文化をもっていて、私が喋ることのできない言語を巧みに操っている姿がとても魅力的に映る。また、考え方の傾向も日本とは違う。全てが新鮮で興味深い。でも、ずっとそう思っていたわけではない。私も弟と同じように、小さい頃は外国人に対して偏見をもっていた。
私が以前通っていた小学校は観光地の近くにあり、旅行シーズンになるとよく日本に来た外国人が見られた。日本で生まれて日本で生活してきて、日本人に囲まれてきた私は、日本が基準だった。肌の色や体格、言語が「日本と違う」ではなく「違う」という捉え方をしていた。当時の私の目には外国人が宇宙人のように映っていた。だから外国人が何かをするととても怖かった。例えば、ランドセルが珍しいようでよく興味深そうに見られ、写真を撮られることもあった。でも、今なら外国人観光客の気持ちがよく分かる。多分、私も外国に旅行したら人々を見て楽しんだり、写真をとって楽しんだりするだろう。でも、あの頃の私は、なぜジロジロ見られるのか、なぜ写真を撮られるのか、もしかしたらその写真があの人たちの国で使われるのかもしれないなどと思っていた。
でも、私はある外国人たちとの出会いによってこの考えをくつがえされた。その日、私が一人で下校していると後ろを二人の外国人が歩いていた。人気のない道で、後ろに外国人がいる。相手はただ歩いているだけで、私を追いかけているわけでも、捕まえようとしているわけでもない。でも、当時の私は恐怖を抱き、逃げようと走り、途中で転び、それでも走った。すると、後ろから声がした。振り返るとそこには私のバッグが落ちていた。転んだ拍子に手からはなれたであろう私のバッグ。二人の外国人は「バッグ落としてるよ」と教えてくれていたのだ。勝手な偏見で、きっと何度も振り返りながら走ったであろう私に対して、不快になったはずなのに放っておかず、親切に教えてくれた。そのとき初めて、私の考えが偏見だったことに気が付いた。肌の色や国籍は関係ない。私の考えが百八十度変わった瞬間だった。
この日以来、私は外国人と積極的にコミュニケーションをとるようになった。外国人観光客に手を振ったり、一緒に写真を撮ったりした。もう、写真が悪用されたらどうしよう、なんて考えない。この観光客が、自分の国に帰って撮った写真をみんなに見せて「楽しかった」、「日本はいい国だったよ」と言ってくれたらいいな、と思うようになった。
「知らないことで人を傷つけることがある」という言葉を耳にしたことがある。たしかに、そうだ。国籍や人の外側だけを見て差別的な発言や行動をしている人は、その人の内側を知らない。知らないから、そのようなことができるのだ。私も、そうだった。内側を知ってしまえば、偏見がいかに頼りないものか、外側なんて関係ないか分かるのに。
私が今住んでいる市には、多くの外国人が住んでいる。そして、みんな笑っている。仲間と一緒に自転車をこぎながら、楽しそうに会話している。そんな人たちを見ながら、私は思う。私はまだ彼らについて何も知らない。彼らのことを紹介して、と言われても何も話せることがない。でも、いつか彼らのことを紹介できるようになりたい。外側ではなく、内側で。そして、その輪を広げていきたい。私がめざすのは、世界中の人々が、当たり前に内側で他己紹介ができる、そんな社会だ。