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「JA共済」小・中学生
作文コンクール

2023年度 第59回 受賞作品

全共連福岡県本部運営委員会会長賞

ならなくなったみかんの木

福岡市立  東月隈小学校4年齋藤 成那

「いらっしゃい。よう来たな。」
 九十一才になるじいちゃんは、私たちが遊びに行くと、にこにこと出むかえてくれる。その顔を見ると私はとても元気をもらえる。
 じいちゃんの家の門の右側には、大きな夏みかんの木があった。その木は、ばあちゃんがなくなった六年前に実をつけるのをやめてしまった。ばあちゃんが植えた木だったそうで、ひ料をあげたり木のそばの草をぬいたり、ばあちゃんが一生けん命にお世話をしていた思い出の木だ。
 ばあちゃんの育てた夏みかんは、父さんの手ぐらい大きさがあり、とてもあまずっぱいかおりがしていた。味もほっぺたが落ちそうなくらいだった。私たちが遊びに行くと、げんかんに夏みかんが山積みにされていて、帰りには、ふくろいっぱいにもらっていた。母さんが作る夏みかんのジャムが楽しみだった。六年前もたしか、たくさん実をつけていた。でも、その年を最後に夏みかんはならなくなり、私が気が付いたときには、かれてしまっていた。
「家の人がなくなったりしたら、その人がお世話をしていた 木や植物がかれてしまうことがあるらしいよ。」
と、母さんが話してくれたことがある。そんなことあるわけないと私は思っていたのだが、母さんがよく歌う「大きな古時計」を思い出した。あの古時計も、おじいさんといっしょにすごして、おじいさんがなくなったら止まってしまった。夏みかんの木も、古時計のように時間をとめてしまったのかもしれない。ばあちゃんがいなくなった悲しさは、夏みかんにもわかったのだろうか。かれてしまった夏みかんの木は、それからしばらくして切られてしまった。
「あの木は切ってしまったよ。」
と、じいちゃんが言っていた。
 それから何年かすぎたけれど、じいちゃんは、もうみかんの木は植えていない。でも、きっと今ごろばあちゃんが天国で夏みかんの木の世話をしていると私は思っている。だってかれた木の後に、小さな花がさいているのだから。

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