ホーム > 小・中学生作文コンクール > 福岡県教育委員会賞 > 手紙の魔法

「JA共済」小・中学生
作文コンクール

2023年度 第59回 受賞作品

福岡県教育委員会賞

手紙の魔法

福津市立  福間中学校3年山本 小雪

 誰に宛てて手紙を書くのか――。家族、友人、恋人など相手は人それぞれです。もしかするとその手紙の内容は、誕生日のお祝いであったり、寄せ書きであったり、あるいはサンタクロースに向けたものであるかもしれません。どのような内容であっても手紙を書くときに相手のことを想像することが大切だと私は思います。自分が書いた手紙を読んで相手はどう思うだろうと考えて言葉を選ぶ人もいるでしょう。また、どのような気持ちで何を思って相手に言葉を届けるのかも大切であると私は思うのです。
 私は、今年、従姉妹の母である叔母に手紙を書きました。相手は、新潟に住んでいるため、なかなか会えず、前回会ったときからはや一年半が経過していました。八月の叔母の誕生日に向けて、手紙を書くことにしたのです。
「お誕生日おめでとう」という文から始まり、後には「最近元気かどうか」「次はいつ会えるか」という問いかけを投げかけたり、「私はもう受験生で、勉強が今までよりも大変だ」と少し愚痴をこぼしてみたり。普段、あまり交流がない分、たくさん書いてしまいました。妹は、メッセージカードのようなものにお祝いの言葉を書いていて、
私は母に「そんなに書かなくてもいいのに。」と言われたものです。でも、伝えたかったことを言葉にしただけで、別に書かされたわけではないのです。手紙を書いている間は、とても楽しかったし、わくわくしました。プレゼントを買うために入った店で、何を買おうか悩んでいる感覚に似ています。どれが喜ぶだろうか。これが似合うだろうか。悩んでいる時間も楽しめる、そんな手紙が書けました。今読み返してみると、たしかに少し長く感じました。しかし、伝えたかったことを伝えきれていないという実感もありました。
 今では、電話やメッセージなどで会話ができて、いつでも話すことができます。特別な日だから、手紙を書くのではなく、いつでも話せるからこそ、手紙で伝えたい言葉があるのです。もう一つ、手紙で思いを伝えることの大切さを知ったのが、曽祖父のお葬式のときでした。
「亡くなった」という知らせを受け、共に暮らしていた祖母の家を訪れました。曽祖父は、布団の上で眠っているようでした。そっと体に触れると、手に冷たさが伝わって、涙があふれました。その夜、私と妹と従姉妹みんなで手紙を書きました。曽祖父に宛てたものです。
「先週まで元気だったのに……。来週もお家に遊びに来るねって言ったのに……。私と約束したのに……。おじいちゃん、あのね。」
 そのあと、曽祖父との思い出をたくさん綴りました。曽祖父の死。死という名の裏切りでした。そのときの私は、寂しさと悲しさでいっぱいだったのです。突然、目を閉ざした大切な家族。もう私を迎えて笑ってくれない優しい曽祖父。よく来たね、と言ってくれるはずだったのに……。涙でぐちゃぐちゃで、きれいな字ではなかったし、心の声をそのままぶつけてしまった手紙になってしまいました。
「天国でも優しく元気でね。」という最後の一文は、心から精一杯に綴りました。
 私たちの思いを込めた手紙たちは、火葬の火にくべられて、曽祖父がすべてもっていってしまったため、二度と読むことができません。あのときの苛烈で、たぶんちゃんとした言葉にはならなかった思いは、今でも心の中でくすぶっています。
 あの手紙ほど、自分自身のありのままを、本音を書いたものはないと今になって思うのです。手紙というのは不思議です。きっと私は、お別れの言葉を口にしたとき、もっときれいな言葉を使ったのですから……。今までありがとう、楽しかったよと、そのような言葉ではまとめられないのに、そんな言葉にしかならなかったのです。でも、曽祖父に手紙を送って、気持ちを伝えてよかったと強く思っています。
「手紙だと素直になる」そう思うほどに、手紙を前にして、相手を思い浮かべると、伝えたいことが次から次にあふれてきます。普段は照れくさくて、口にできない言葉だって手紙なら書くことができるのです。それはまるで魔法のように……。
 皆さんは、誰に手紙を書きたいですか。それはどんな思いから生まれた衝動でしょうか。私はこれからも大切な人たちへ手紙を書いていきます。「手紙の魔法」を使って、私の思いを伝えていきたいと思います。この魔法はきっと人々を幸せにできる優しいものになるはずです。作文を書きながら、私はそう思いました。

ページ上へ