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「JA共済」小・中学生
作文コンクール

2023年度 第59回 受賞作品

福岡県知事賞

一歩踏み出す勇気を持って

国立大学法人  福岡教育大学附属福岡中学校2年野副 由衣

 虚空を見上げる、くすんだ茶色の瞳。動かないけれど、まだ温かい手。長期間の入院で、日に当たらず、骨と皮しかないような脚。一体、私の知っている祖母はどこにいったのだろうか。私の中の祖母は買い物とおしゃべりが大好きで、祖父の好物を鼻歌交じりに作りながら、こっそりとつまみ食いをしているはずなのに。ベッドに横たわり、何本ものチューブをつけられ、辛うじて生きている女性は、私の知っている祖母とかけ離れていた。ベッドについているネームプレートから、その女性が祖母であることは分かる。けれど、受け入れたくない……。
 「十九番の札をお持ちのご家族の皆様。収骨の準備が整いましたので、一階収骨室までお越しください。」
 そのアナウンスで、今、火葬場にいることを思い出した。目の前で重々しい金属製のドアが開き、熱気が立ちこめる部屋の中央に、祖母の遺骨が見えた。変わり果てた祖母を見ていると、どうしても不安になってしまう。私は、祖母ときちんと後悔なく、お別れできたのだろうか。
 祖母が危険な状態であるという知らせが届いたのは、あまりにも突然だった。二泊三日の修学旅行から帰ってきた当日、友だちと作った楽しい思い出の余韻に浸っていたら、母から「おばあちゃんが危篤」であることを伝えられた。そのときに母は私に二つのお別れの選択肢を与えた。一つめは、最期の姿を見ずに数年前までの「社交的で元気いっぱいのおばあちゃん」の姿を心に留めて、葬儀のときにお別れをする方法。二つめは、今の「末期の認知症で意思疎通もできず、弱ったおばあちゃん」に会い、お別れをする方法。祖母が亡くなるかもしれないということだけでも、心が落ちつかないのに、祖母の最期の姿を実際にこの目で見るかどうか、選ばなければならないなんて……。どちらを選んでも正解がなく、難しい。でも、悩んでいるこの間にも、祖母の命の灯は消えてしまうかもしれないから、なるべく早く、急いでどちらかを選ばなくては。
 そう思いながら、祖母がまだ生きていることを早く確かめたくて、私は祖母がどんな姿でも受け入れる覚悟を胸に、二つめの選択肢を選んだ。そして、母とともに私は制服を着たまま、祖母が入院している病院へ向かった。
 病院に着き、祖母の名前が書かれたドアを開けた。機械音が響き渡る個室の中心には、ポツンと横たわる祖母がいる。顔や雰囲気は懐かしく感じたものの、生気のないその姿は、私の知っている祖母ではなかったことを今でも鮮明に覚えている。
 私は今すぐ目をそらしたかった。けれども、まだ温かい手を握ったら、そんな気持ちはすぐに吹き飛んだ。
「おばあちゃん、会いに来たよ。」
そう声をかけると同時に、手から伝わるぬくもりを感じ、今、この瞬間も祖母がしっかりと生きているんだということを理解した。私は自分が祖母に忘れられている事実を突きつけられることが怖くて、随分長い間会わず、その間に変わった祖母の姿にうろたえてしまった。しかし、あのとき、実際に祖母と会うことを選んだ私の決断は絶対に間違いではなかったと思う。なぜなら、私が会いに来るのを待っていたかのように、面会した翌日に祖母は旅立ったからだ。
「毎月、一緒に晩御飯を食べてくれて楽しかったよ。毎年、おいしい梅干しをつくってくれてありがとう。」
あの日、もし祖母に会わなかったら、この思いはずっと伝えたくても伝えられないものとなってしまっただろう。
「天国のおばあちゃんへ
 あの日、私が手をにぎって話しかけたこと、気付いてくれた?私の修学旅行の思い出話、聞いてくれていた?先に天国に行っているおじいちゃんと会えた?まだまだ話したいことはあるけれど『今まで本当にありがとう』の気持ちが伝わっていることを第一に願っています。おばあちゃん、これから私は迷ったり、悩んだり、後悔してしまったりすると思うんだ。でも、そのときはおばあちゃんと最後に会えたあの日の勇気を思い出して、一歩踏み出してみるから、これからも見守っていてね。」
 私は目を背けたくても、覚悟を決めて祖母に会いに行った。このことで私はきっと祖母をきちんと見送れたと思う。祖母との別れのように、これから難しい選択肢を迫られることがあるだろう。それでも、どんな選択肢を選んでも間違いではない。自信をもって歩き出せば、少しずつでも前に進んでいけるはずだ。
 ふと、骨壷の隣にたてかけてある写真を見た。そこには私の慣れ親しんだ穏やかな雰囲気の祖母が、茶色を帯びた黒色の瞳で私をじっと見つめている。懐かしい祖母の姿を久しぶりに見て、思わず写真を囲む白木の額縁をそっとなでると、私には一瞬、祖母がにっこりと微笑んでくれたように思えた。

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