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「JA共済」小・中学生
作文コンクール

2023年度 第59回 受賞作品

福岡県知事賞

食べていくこと

北九州市立  洞北中学校1年丹野 生路

  「 私には二つの専属契約農家がある。」
というととても大げさなようだが、父方の祖父母は長野で、母方の祖父母は山形で、それぞれ米や野菜、果物などを作っている。
 学校から帰ってきた。「ただいま」とドアを開けると、玄関から続く廊下を塞ぐように大きなダンボール箱を二つ見つけた。早くトイレに行きたい私がどけるのには、なかなかに大きくて重たい箱だ。何とかトイレを済ませ、中をのぞいてみるとナスやキュウリ、トウモロコシがぎゅうぎゅうに入っている。祖父たちからだ。こうして長野と山形の祖父たちが二ヶ月に一回くらいのペースで米や野菜を送ってくれる。一、二年前までは山形の曽祖父母からも送られてきて、廊下は行く手をはばむアスレチックのようだった。
 祖父たちが送ってくれる野菜は季節によって変わる。夏はトマト、キュウリ、ナス、冬は白菜、大根、里いもなどだ。私は、夏のキュウリが特に好きだ。丸かじりが好きで、勝手に洗って勝手に食べる。他の野菜は母がおいしく料理してくれる。白菜はつけものや鍋がうれしい。玉ねぎ、じゃがいもは定番のカレーに、意外に大根とひき肉のカレーがとてもおいしい。私はナスが嫌いだったけれど、「せっかく祖父が作った野菜なのに」と、父と母に半分祖父たちを人質に取られたように促され、思い切って食べてみたところ、驚くほどおいしくてぱくぱく食べた。長野育ちの父は里いもを使った山形の郷土料理の芋煮と山形のラ・フランスが大好きで、「山形が一番おいしい」とよくわからないことを毎年言っている。私は山形の曽祖母の畑で育てた野菜を使って作ってくれるおみづけも大好きで、納豆と混ぜてご飯と食べると絶品だ。私は祖父たちの畑と祖父たちが好きだ。祖父たちの畑の野菜はなんでもおいしい。
 コロナ禍前は夏休みや冬休みの度に長野や山形に遊びに行っていたが、小さい頃、祖父の畑仕事に同行して野菜の収穫の手伝いをしたことがある。その日はとても暑く、暑さが痛いくらいだった。「福岡とは違って標高が高くて太陽が近いからなあ」と汗だくだけど何ともない顔の祖父はニコニコしていたが、いつもこんなに暑い中で畑仕事をしているのだなと思った。また、野菜を収穫する時にトウモロコシの葉の裏や茎などに何になるのかもわからない幼虫がくっついていて、虫が苦手な私はトウモロコシに触れずに虫とにらめっこをしていると、祖母が「この畑の野菜は全部無農薬だからね」と教えてくれた。虫も食べるほどおいしくて栄養のある野菜なのだなと、少し虫の気持ちがわかる気がした。今思えば足手まといでしかなかったが、こんなことを長野でも山形でも経験させてもらった。福岡の家でも野菜の詰まった箱の中から虫が出てくるたびに叫びながら、祖父や祖母の言葉とたくさんの野菜がなっている畑の様子を思い出す。
 学校でも学んでいるが、SDGsの中でもフードロス削減はとても大きな問題だ。私もついつい欲張っておかわりをして食べきれなくて残すことがある。決まって父も母も「もったいない」と怒る。「世の中には食べたくても食べられない人もたくさんいる」「身の回りに多くの食べ物であふれているから気づかないだけ」と言われる。わかってはいるがなかなか実感もないし、そんなことを言われてもお腹一杯だしと思う。
 昨年の十二月に母から山形の曽祖母の体調が悪く、次は会えるかわからないと聞いた。そういえば最近おみづけを食べてないなと思ったとき、私の中で「もったいない」の意味が変わったと感じた。もう曽祖母の作るおみづけは食べられないかもしれない。箱いっぱいの野菜が送られてくる度に電話で祖父たちにお礼を言うが、いつも「いっぱい食べてくれてありがとうね」と言われる。こっちがもらっているのに。この人たちの思いを残すのはとても「もったいない」と感じた。この思いを食べて育ってきた父と母だから「もったいない」に厳しいのだろうと思うと同時に、私は恵まれているのだろうとも感じた。また、父と母は「食べることは生きることだよ」とも言う。「生き物として食べることもそうだけど、食べることは文化でもあるんだよ」と言う。確かに地域や国で同じものを異なる食べ方をするし、いろいろな料理がある。そこには祖父たちや父たちのような思いや歴史がいっぱいあるのだろうと思うと、やっぱり「もったいない」や「おいしい」の意味が今までと変わるように思うし、今まで以上に食べることが楽しみだと思った。また、こう思えたことが私にとってのフードロス削減の始まりだとも思った。
 これからも好きなもの、まだ食べたことのないもの、いろいろなものを食べていく人生の中で、そこにある思いや歴史を考えたり、たまに祖父たちのことを思い出したりしながら「食べていくこと」を楽しんでいきたい。

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