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「JA共済」小・中学生
作文コンクール

2022年度 第58回 受賞作品

日本農業新聞賞

「らしさ」を誇りに生きる

行橋市立  行橋中学校2年龍山 咲良

 「普通」とはどういうものか、考えたことはあるだろうか。普通とは、世間一般の意見のことを指すらしい。社会の中で理想とされているもの、きっとそれを普通と呼ぶのだろう。それが「普通」ならば、私は、普通ではないのかもしれない。なぜならば、何をするにも周りの人の何倍も時間がかかるし、言われたこともすぐに忘れてしまうからだ。だから、頼まれた用事などはメモしておかないと、数分後には頭から消えてしまうことがある。そんな自分が、私は大嫌いだ。家族や友人に、
「あれ、まだやってくれてないの?」
と言われる度に、ああ、またやってしまったと自己嫌悪に陥る。
 私にとって、他の人が一時間で終わるものが、何時間もかかった挙句、終わらないというのは日常茶飯事だ。何をやっても結果が出ない。私の生きている世界の全てが、上手くいかないことのせいで止まってしまうのだ。
 この間受けた実力テストでは、寝る時間も惜しんでテスト勉強をしたのに、成績が上がるどころか下がってしまった。自己採点をした後、点数の悪さに号泣した。八つ当たりもした。いつも見守り支えてくれている母も、そんな私に呆れて言葉が出ないようだった。
 どうして私はいつもこうなのか。普通は結果が出るが、私は結果が出せない。いくら努力しても、目に見える形で成果として返ってこない。私が普通ではないのだろうか。世間一般で言う「普通」が本当に「普通」なのか。普通の人とはどんな人なのか。そんなことを考える中で、私はある人の存在を思い出した。
 井手上漠さんという人がいる。井手上さんは性別のないジュノンボーイで、モデルとして活動をしている。何年か前に初めて井手上さんのことを知った時、性別がないという人がいることに衝撃を覚えた。なぜなら、その時私は、人間は男女だけに分かれるものだと思っていたからだ。井手上さんは、「普通」を考え続けた十八年間だったとエッセイ本の発売時に語っていた。周りの男子とあらゆることが違い、冷たい目で見られるうちに、だんだんと自分自身を変えなければと思い始めたそうだ。普通の男の子として生きなければと思っていたそんな時、お母さんからかけてもらった「漠は漠のままでいい」という言葉に、自分らしく生きようと決意したそうだ。
 たぶん私は、今まで生きてきた中で、自分が世間で言う普通とは少し違うということに、心のどこかで気付いていたと思う。でも、私は認めたくなかった。周りと少し違うということを知られたら、信頼を失うのではないかと不安だったからだ。塞ぎ込む私に、母は何でも良いから話してごらんと言ってくれた。思い切ってこの気持ちを打ち明けると、
「やっと自分から言えたね。自分のことを受け入れられたってことだよ。」
と優しくハグしてくれた。母の言葉に安心すると、不意に涙がこぼれてきた。知らず知らずのうちに苦しい気持ちをため込んでいたのだ。涙が止まらず、しゃくりあげながら、私は心の中に抱えていたことを打ち明けた。
 母に全てを話した後、自分が大きな勘違いをしていたことに気付いた。今までは、普通でなくてはならないとずっと思い続けていた。だから、しっかりした女子をずっと演じ続けていた気がする。「普通」という言葉に縛られ、私らしさを見失っていたのだ。
「普通でいたいと思ったとしても、咲良が自分のことを嫌いになって良いわけじゃない。」
そう母に言われた時、どうしてすぐに相談しなかったのだろうと思った。失望されるのがとても怖かった。人が離れて行ってしまわないか心配で仕方なかったのだ。でも、実際そうではなかった。周りの人はみんな、ありのままの私を受け入れてくれている。今では、友達と冗談を言い合って笑う時間が、一番大好きだ。
 普通。それは最初に書いたとおり、社会の中で求められている理想の姿。だから人の目を気にして、自分らしさを消してしまいがちだ。普通というのは、正しい道を歩んで行けるようにするための道標だと思う。それと同時に、「らしさ」を奪い、蓋をして隠してしまうものにもなると思うのだ。
 今まで、私が私自身のことを一番認めていなかった。認めるどころか、大嫌いだった。自分と向き合うことを怖がっていたから、自己嫌悪という負の連鎖に陥ったのだと思う。自分に向き合わないと、何も始まらないことにやっと気付いたのだ。やりたいことはたくさんある。落ちた成績をもとに戻す。志望校の合格ラインをクリアする。MRを目指して勉強する。できるだけ「普通」に沿いながら、でも「らしさ」は失わずに、思い描く未来を実現させたい。
 止まっていた自分の世界が、少しずつ動き出した。

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