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「JA共済」小・中学生
作文コンクール

2022年度 第58回 受賞作品

日本農業新聞賞

私の元気の源

私立  飯塚日新館中学校1年神谷 陽向子

 私は、幼い頃から炊きたてのご飯が大好きです。ふっくらとした、つやのあるお米が元気いっぱいに並んでいる様子を見ると、自然と笑顔がこぼれます。母は、どんなに忙しくても、家族のことを考えて、夕食には必ず炊きたてのご飯を用意してくれます。そして、季節の変わり目には、四季に応じたご飯も登場します。春には、栄養満点のグリンピースが入ったピースご飯、夏には、シャキシャキした歯ごたえが夏の暑さを吹き飛ばしてくれるトウモロコシご飯、秋には、食欲の秋にぴったり、お腹をしっかりと満たしてくれる栗ご飯やさつまいもご飯、冬には、根菜がたくさん入った冬野菜の炊き込みご飯等、ご飯を見て春夏秋冬を感じることができます。現在、地球温暖化等の影響で、年々四季が分かりづらくなりつつあります。そこで母は、春夏秋冬を身近に感じることができないかと考え、私たち家族がみんな大好きで、毎日楽しみにしているご飯に季節の食材を入れて、四季を味わいながら感じていくことを思いついたそうです。
 毎日、家族そろっていただく夕食が、私はとても楽しみです。ご飯を炊いている時の、ほんのり甘い香りが、疲れている体に元気を与えてくれ、頑張ろうという気持ちを増やしてくれます。ご飯は、心も体も元気満点にしてくれる、私の大切な宝物の一つです。でも、およそ三年前から今もまだ収まらずにいる新型コロナウイルスの影響で、私の家族の生活も一変しました。父は、新型コロナウイルス感染防止のため、単身赴任をすることになり、母も、時間差通勤等で帰りが遅くなる日が増えました。だんだん家族そろっての夕食の時間が減り、それにともない、炊きたてのご飯も減りました。最初は、とてもさびしい気持ちでしたが、健康第一だし、炊きたてでなくても、おいしいご飯をいただけることが、どんなにありがたいことなのか、自分でもよく分かっていたので、夕食には以前と変わらず、お茶碗いっぱいのご飯をいただき、毎日元気に過ごしています。コロナ禍になる前は、家族そろっての夕食、炊きたてのご飯が日常で気が付かなかったけれど、一粒一粒のお米には、おいしさと共に毎日の元気、笑顔の源がたくさん含まれていることを生活の変化の中で深く感じ、今まで以上にご飯が大好きになりました。
 コロナ禍の中、手洗い、消毒の徹底、マスクの着用が必要不可欠になりました。また、新型コロナウイルス感染拡大防止のため、様々な行事が中止になったり、あらゆる場所で制限が厳しくなったりと我慢しなければならないことも増えました。でも、そのような状況の中、今まで気付かなかったことに気付いたり、当たり前だと思っていたことが、どんなにありがたく貴重なことだったのかということを身をもって感じています。そして、今感じているこの気持ちを、いつどんな時も忘れずにいたいという思いと、苦しいことつらいこと、どんなことにも負けずに頑張ろうという思いが、仲良く手をとり合って、いつも私の心の中にいます。
 新型コロナウイルスの発生から三年が経過しようとしている今もまだ、父の単身赴任は続いていますが、毎日体に気を付けながら生活し、休日になると父が家に帰ってきて、家族そろって食事をすることが増えました。それと共に、家族みんなの笑顔も食卓に戻ってきました。以前は、食卓の中の笑顔も日常で、あまり深く考えたことはなかったけれど、この家族みんなの笑顔も当たり前のことではなく、とても大切で貴重なものだったのだということを強く実感しています。父が、お茶碗いっぱいに盛られたご飯を見て、満面の笑顔で、
「やっぱり、炊きたてのご飯はいいなあ。何杯でも食べられそうだよ。」
と言い、ご飯をおいしそうに食べ始めました。私は、その姿を見て、幸せな気持ち、嬉しい気持ちがあふれそうになりました。母も、
「本当においしいね。今日は何杯食べられるかな。」
と笑顔で言い、ご飯をゆっくりかみしめながら食べていました。その日、炊いたご飯は家族がみんなおかわりをしたので全て食べ終わり、炊飯器のお釜の中は米粒一つ残らず、きれいになくなっていました。私は、それを見て、「今日もおいしいご飯をありがとう」という家族一人一人の感謝の気持ちをとても強く感じました。
 コロナ禍の収束は、今もまだ見えていません。その中、不安に感じることは本当に多いです。でも、そんな苦しい時にこそ、しっかりと前を向いて頑張れる人、周囲への思いやりを大切にできる温かい心を持ち続けられる人でありたいです。今日の夕食は、栗ご飯です。私の元気の源であるご飯を大切にいただき、何事にも全力で頑張っていきたいです。

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