2022年度 第58回 受賞作品
福岡県教育委員会賞
光の兄、私の陰
宗像市立 自由ヶ丘中学校2年伊賀﨑 望
私には二人の兄がおり、兄妹三人、とても仲が良い方だと思う。三人でゲームをしたり、その日学校であった事を食卓を囲んで話して笑い合ったり、私はこの家の家族で良かったなと心から思う。でも、一学年上の兄とは少しぎこちない関係になる場所がある。それは学校の中だ。
明るくてスポーツが得意な兄は、学校内で見かける度、いつも多くの友達に囲まれている。そんな兄になんとなく近付きづらくて、特に七年生の時などは兄のいる集団を見ると、できるだけ避けるように校内を移動していた。上級生からは、
「伊賀﨑の妹やろ?」
と声をかけられることも多く、相手に悪気が無いと分かっていてもあまり良い気はしなかった。兄も同様で、
「あまり俺の友達と関わるな。」
と嫌そうに言われたことがある。好きで関わっている訳ではないのに。少しの怒りと兄に対する卑屈な感情が、私の心の奥底に泥のように溜まっていた。学校での兄は太陽の光のような存在だった。兄の光が強ければ強いほど、何もない私の陰が濃くなっていく。そんな自分も嫌だった。
昨年の七月、兄が初めて両親に、自分の大会を見に来てほしいと言った。新型コロナウイルスでの無観客試合が続き、ようやく家族のみ観戦可能になっても頑なに家族が見に来ることを拒み続けていた兄が、だ。それくらい七月の大会は兄にとって大切な大会だった。両親はもちろんのこと、私と長兄も応援に行くことになった。それを聞いた兄の表情が曇った。兄は両親だけに来てほしかったようで、兄妹、特に私には来てほしくないとのことだった。兄の所属する陸上部に私の友達や私を知っている先輩が多く、何より顧問の先生が私の担任の先生であったことなど、兄にとって関わってほしくない人が多くいたからだろう。しかしそれは、
「兄妹の気持ちも考えろ。」
という両親の一括で渋々兄が折れた。
大会当日、私は初めて博多の森陸上競技場へと足を運んだ。初めて見る試合前の兄の姿や同級生、先輩方は学校で見る姿よりもずっと光り輝いて見えた。また少し私の心の陰が濃くなった。
しかし、いざ兄の出場競技である一一〇メートルハードル走が始まると、私のそんな気持ちはすぐにかき消された。スタート前の選手達の祈り、真っ直ぐな目、何より全員が真剣にハードルを越えてゴールに突き進んで行く姿は、私の心をも照らしてくれた。頑張れ、皆頑張れ。ただその思いだけが私の心を埋め尽くしていた。
そして、兄の番が来た。ゆっくりストレッチをする兄に反して、私の心臓ははち切れそうなほどバクバクしていた。兄は緊張しないのだろうか。スターターが鳴り響き、兄が走り出した。見たい気持ちと見たくない気持ちが入り混じっていた。初めてみる兄のハードルを跳ぶ姿はとてもきれいで速かった。右足で鋭く空気を切り裂き、軽々とハードルを越えて行く。左足が次のハードルへと進んでいく。歓声代わりの大きな拍手の中、兄はどんどん前に出て行った。頑張れ、頑張れ!誰よりも強く思ったその時だった。私達家族の応援席の目の前を通り抜けようとした兄が、突然スローモーションになった。
「えっ、今、腰が落ちた?」
近くで応援していた陸上部の先輩が驚いたようにつぶやいた。専門的なことは私には分からないが、何かあったのは間違いない。そこからはまた元のスピードに戻っていたが、兄は五位という結果だった。決勝進出が確実視されていた兄だったが、わずか〇・〇二秒差で決勝進出は叶わなかった。
兄が走り終わった後、私は自分を責めていた。私達が見に来なかった方が、兄はリラックスして走れたのではないか。どんな顔をして、どんな言葉で兄を励ませば良いか分からなかった。集合場所で兄を待っていると、
「うわぁ、やらかした!えっ何で!ちょっともう、走ってきまーす!」と一人大騒ぎしながら会場から出てきた兄は、そのまま練習用グラウンドへ走り去っていき、顧問の先生や部員の皆を大笑いさせていた。私達もその兄の元気そうな姿を見て拍子抜けした。しかし、いざ帰宅途中の車内では、母の撮った動画を何度も見返し、小さく溜め息を何度もついていた。
「かえって見に行かん方がよかったかねえ?」
と心配そうに言う母に向かって兄は、きっぱり
「いや、俺の実力不足なだけ。次がある。」
と、言い切った。
ああ、兄はやはり光り輝いている。でも、太陽のような光ではない。自分を磨き、そこからこぼれ出る宝石のような光。自分の心を燃やす炎のような光。そしてどんなときでも、周囲を暗くさせない灯りのような光。
次の大会は、私はもう見に行かなかった。私は陰となり兄を応援したいと思ったからだ。暗い陰ではなく、光となり活躍する兄の木陰のような存在になろう。そうして兄や色んな人の心を落ち着かせ、安らげる存在になろう。陰には陰の大切な役割があるのだ。母から、兄が決勝まで残ったから帰りが遅くなる、と連絡が来た。一人の家で歓声を上げた。窓の外で庭木が光を浴び、涼しげに揺れていた