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「JA共済」小・中学生
作文コンクール

2022年度 第58回 受賞作品

福岡県教育委員会賞

舌は覚えている

春日市立  春日野小学校6年松丸 愛

 私の舌は覚えている。祖母の意外な隠し芸を。さまざまな得意料理の味を。舌の記憶はいつまでも、色あせない思い出を呼び起こす。
 祖母はよく、「トゥルルルル」と舌を震わせている。後に、これをタングトリルというと知った。幼かった私はすごいと思って、どうすればできるのかと聞いた。すると祖母は、
「これは練習しないとできないよ。」
と言った。その日から私は祖母を真似て一心に練習し、三ヶ月ほどで、できるようになった。私は祖母に一歩近づけたようで誇らしく、会ったときにすぐさまそのことを報告した。そのとき嬉しそうに笑った祖母の笑顔を、タングトリルをする度に思い出す。
 祖母と会うのは毎週火曜日、私のピアノの日だった。祖母が私の家に来て夕飯を作っている間に、レッスンをした。私が奏でるピアノの音と、祖母の包丁がまな板にあたる音が重なるあの瞬間が好きだった。レッスンが終わると、楽しみな夕食の時間。祖母の料理はいつも絶品だった。口に入れれば、味のしみた具材のうまみが舌に広がり、自然と顔が緩む。火曜日は私が一番好きな日だった。
 毎年、年末には、伊達巻きや田作りなどを一緒に作った。祖母は私のことを「味見のかなちゃん」と笑いつつ、忙しい時には、簡単な仕事を任せてくれた。頼りにされていることが嬉しくて、張り切って手伝う私のことを「猫よりまし」と言っていた祖母。そういえば、私が大好きだったアンパンマンのことを「アンパンのおじさん」と呼んでいた。その度に私は、おじさんなんかじゃないと、ちょっとふくれて言い返したものだ。今になってみると、祖母にからかわれていたのだと分かる。ダンスの先生をしていた祖母は、日本中のあちこちを、アンパンマンのように飛び回っていた。そんな祖母と過ごす毎週や毎年の楽しい時間は、あたりまえに続くと思っていた。
 祖母の体調に異変が起きたのは、元号が平成から令和へ変わる頃のことだ。念のためにと、入院した時は、歩いたり話したりできたので、私はそこまで心配しなかった。ところが、ある日突然、祖母が病院で倒れたと知らせが入った。私達が血相を変えて病院へ行くと、祖母はベッドに横たわり、のどには管が付いて、声が出せなくなっていた。話しかけても言葉を返してくれない祖母は、別人のようだった。それからしばらくして新型コロナウイルス感染症が流行り始め、面会もできなくなった。
 あれから三年が過ぎ、私は六年生になった。祖母のいない火曜日にも、もう慣れた。帰宅するとお米をといで、水につける。この年末には祖母の味を舌にたずねながら、母と一緒におせちを作った。次は一人で伊達巻きを作ろうと思う。もう、「猫よりまし」とは言わせない。上達したタングトリルは、今や私の隠し芸だ。会えない時間が長くなると、だんだんと祖母との記憶が薄れていくと思っていたが、舌で覚えた技や味は忘れない。私の舌がフィルムとなって思い出を再生し続けるからだ。そう考えたら、形はないけれど、私の支えとなるお守りを受け取ったような気がした。
 私はこれからも進み続ける。舌の記憶と共に、大好きな祖母と。

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