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「JA共済」小・中学生
作文コンクール

2021年度 第57回 受賞作品

RKB毎日放送賞

一つの失敗、三つの成功

うきは市立  浮羽中学校2年古賀 義彦

 「生徒会長……。」
そのとき古賀義彦、ではない名前が学校中に響き渡った。クラスは静まりかえり、僕もため息をついた。ただこれは、悲しみでも後悔でもない。満足の気持ちゆえの吐息だ。なぜなら僕は、一つの「失敗」からの三つの「成功」を得たのだから。
 夏休みが明けてしばらく経った頃、生徒たちの学校生活のリズムもようやく整い始めたとき、僕は一つの大きな問題を抱えていた。そろそろ始まる生徒会選挙だ。僕は小学生の頃、運営委員会、中学校でいう生徒会のようなものに属していた。小六になると委員長を務めるようにもなった。その時期はとても楽しかった。自分たちの取り組みで学校がみんなの楽園になる。それを創造していけることが幸せだった。その気持ちを中学でも感じてみたかった。そのため、生徒会長に立候補しようと決心していた。しかし、そこが問題だった。僕の保育園からの親友も立候補すると聞いたからだ。その親友はみんなからの信頼が厚く、僕自身も信頼していた。生徒会長は学校の顔となる大切な存在だ。そのため信頼は最重要の条件になる。親友はまさにそんな人物だ。そのような強敵が立候補するとわかり、僕の気持ちは心の中で行ったり来たりを繰り返していた。
 あるとき、僕は一つの逃げ道をみつけた。生徒会長ではなく、副会長に立候補すればいいと。これはとてもいい考えのように思えた。もちろんいろいろな可能性を考えた。(もしかしたら生徒会長でもいけるかも。)、(でも落ちる可能性が高いな。)、(副会長で後悔しないか。)毎日そんなことばかり考えていた。僕は、失敗を恐れていた。自らハードルを下げ、副会長候補として出ることにした。ちょうどそのことを決心した頃、一本の電話がかかってきた。担任の先生からだった。話を聞いてとても驚いた。僕を副会長候補から生徒会長候補に戻そうというのだった。なぜ先生から推薦されたのかはわからなかった。でも、話を聞くと多くの二年生から実際に推薦されているということだった。その夜、父と母と一緒に話し合った。父は、「おまえが生徒会長になるということよりも、おまえのことを友だちがたくさん推薦してくれたと聞いたことの方が父さんは嬉しい。」と言った。その一言で僕の決心は、ひるがえった。
 そして、迎えた立候補の受付期間。僕は自分の名前の横に、生徒会長と記した。どうせ落ちる可能性があるのなら、自分の最大限の力を出し切ろうと思ったのだ。それから立ち会い演説会および投票日までの二週間は、時の経つのがとても早く感じられた。しかもテスト期間と選挙運動の準備が重なっていたため、時間は突風のように過ぎていった。しかし、同じ班の仲間や応援者たちが僕を支援してくれた。とても字の上手な女子がたすきに名前を書いてくれた。絵が得意な女子が、どれだけ時間をかけたのだろうというほどのとてもきれいなポスターを描いてくれた。そのおかげで、僕自身はテスト勉強のための時間も作れた。さらに期間中は部活を途中で抜けて交替で選挙運動を一緒にやってくれた友だちもいた。そのため、僕自身のモチベーションも高まった。みんなに少しでも恩返しできるように、公約を考えるのに、五日ほどかけた。家ではタイマーを片手に立ち会い演説会の練習を何度もした。今の浮羽中学校生は、自分の全力を出し切れていない、みんなが自分の全力を出し切れればもっといい学校になるはずだ。と思い、そのことを公約に入れた。「自分の全力を尽くす」という公約を僕自身が示したいと思った。そして迎えた立ち会い演説会。僕はとても落ち着いて話をすることができた。そのことに一番驚いたのは僕自身だった。いつも早口になってしまう僕の癖からは想像もできなかったことだ。何よりも、自分の考えを力一杯、全校生徒に伝えられた。そのことがとても嬉しかった。もう後悔はないと思えた。
 「生徒会長……。」
古賀義彦ではない名前が、学校中に響き渡った。クラスは静まりかえり、僕もため息をついた。ただこれは、悲しみでもつらい気持ちからでもない。もちろん後悔からでもない。満足の気持ちゆえの吐息だ。なぜなら僕は、選挙に落ちたという一つの「失敗」から、自分の短所を克服できた、多くの友だちが支えてくれた、誰かのために全力を尽くせたという、三つの「成功」を得られたのだから。

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