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「JA共済」小・中学生
作文コンクール

2021年度 第57回 受賞作品

日本農業新聞賞

私にできること

北九州市立  熊西中学校3年久保 優花

 私は、父と母の仕事が忙しく、保育園に通っていた当時からよく泊まりがけで祖父母の家に預けられていた。そんなとき、祖父母はかるた、お手玉、山くずし、近くの公民館まで行って近所のおばあちゃんたちと和菓子作りをするなどたくさん一緒に遊んでくれた。室内ばかりではなく、散歩にもよく連れて行ってくれた。あぜ道、遠賀川の土手、線路沿いの道などいろいろなところをたくさん歩いたが、祖父はどんなときでもゴミ拾いをしていた。
 祖父は散歩をするときに側溝などに落ちている空きカン、空きビン、ペットボトル、たばこの吸いがらを拾っている。そんな祖父を見ては、なぜいつもゴミ拾いをしながら散歩をしているのだろうと不思議に思っていた。ある日祖父に、
「なんでゴミ拾いをしながら散歩をしているの?」と聞いた。すると祖父は、
「ゴミが落ちていないきれいな町になったら、みんなが町を通るとき良い気分になるやろ。」と話してくれた。祖父の小さな行動は町のみんなのためになっているが、だれの目にもとまっていないと思う。見てもらうためではなく、みんなのためにゴミ拾いをしている祖父を尊敬するようになった。そんな祖父と一緒に「ゴミ拾いをしてみよう、祖父の役に立ちたい。」と思い、私は祖父と散歩をするときにゴミ拾いをするようになった。しかし、自分から進んでゴミ拾いをする機会は、祖父以外とはほとんどなかった。
 祖父が散歩をするときにゴミ拾いをする理由を知った頃から、私が住んでいる町にも「町のためになる活動が何かないのかな。」と考えるようになっていた。
 そんなことを考えていたとき、母からある一言をかけられた。
「今週の土曜日、撥川の清掃ボランティアに一緒に参加しない?」母のこの一言で私は少しがっかりした気持ちになった。
 土曜日にはテニスの練習がある。また、友達と遊びたいという気持ちもあったので正直気が進まなかった。ところがダメ元で友達を誘ってみると清掃ボランティアをやりたいと言うので、私はしぶしぶ母と友達と撥川清掃ボランティアに参加した。
 撥川は、母の職場の目の前にある小さな川で、遠目で見るとどこに水が流れているのか分からないような川だ。帆柱山を源に、黒崎地区の中心部を貫流し、企業の黒崎工場地内を経て、洞海湾に注いでいる。
 会場に着くと大勢の人が集まっていた。母の職場の人、近くの企業の従業員さんやその家族、酒屋さん、地域の人たち。私はこんなにたくさんの人が来ているんだな、と意外に感じた。
 説明を受けた後、軍手、火ばさみ、ゴミ袋をもらい清掃スタート。私は友達と二人で橋の下などに行き、たばこの吸いがら、あめやチョコレートの包み紙、ガム、ペットボトルや傘などの他に、虫取り網も拾った。他の人が拾ってきたゴミには、なんと自転車もあった。私はゴミを拾いながら「なんでこんな場所にこんなゴミを捨てるのだろう。」「どんな気持ちでゴミを捨てるのだろう。」と不思議でならなかった。
 私は、その翌年も母に誘われ、撥川清掃ボランティアに参加した。ゴミの量は去年とあまり変わらなかった。毎年、清掃ボランティアに参加して撥川をきれいにしている人がいる一方で、ゴミを捨てる人の現状も変わらないのだと思った。
 私たちが参加した撥川清掃ボランティアで知った「活動」がある。撥川の近くにある中学校にはエコ・ガーデニング部という部活動があり、その部の「ホタル班」に生徒たちがホタルの幼虫を飼育し、撥川に放流するという活動だ。私は同じ中学生がこのような活動をしていることに興味をもった。
 私はこの夏、撥川のホタル祭りに行った。そこで私は、きれいに光りゆらゆらと飛ぶホタルを見ることができた。ホタル班の生徒が放流したホタルが立派に成長したんだな、と思うとうれしかった。そのホタルを見ながら私は二つのことを思った。一つ目は、清掃ボランティアに参加してよかったということだ。なぜなら、ホタルは水中の溶存酸素量が常に保たれている川にしか、生息できないので、ゴミを拾うという清掃ボランティアの活動がホタルの生きる川をきれいにしていると思うからだ。二つ目は、きれいな水や川の環境を守るために、私には何ができるだろうということだ。私は、ゴミをその辺に捨てたりしない、歯みがきやシャワーのときには水を出しっぱなしにせず大切に使うようにしようと思う。
 きれいな水は、生き物にも人間にも必要だ。だからこそ、祖父のように小さなことでも、私にできることを続けていこうと思う。ホタルが撥川を飛び続けることができるように。

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