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「JA共済」小・中学生
作文コンクール

2021年度 第57回 受賞作品

日本農業新聞賞

私だけの通学路

糸島市立  志摩中学校1年西山 未羽

 卒業するまでに私は、いったい何往復するのだろうか。入学してから今日まで、およそ一七〇回学校に通った。実感はあまりわかないが、多いとは思わない。通学時間は二十分もかからず、大きな坂や砂利道もないけれど、小学校の六年間、徒歩一分で着いていたためか、すごく遠いと感じてしまう。それでも、雨の日、風の日、雲一つない日。花が咲く時期、雪が降る日もあって、毎日違うから、毎日特別な日にしてくれる。だから嫌いになんてなれない。そんな私の通学路で特に印象に残っている出来事が二つある。
 一つ目は、つい最近の出来事。
 朝、冷えきった空気と静まりかえった通学路の中で。時々すれ違う二人のおばあさんは、いつも笑って、楽しそうに会話をしながら散歩をしている。この日も私は、礼と同時に下を向き、そのまま通り過ぎていた。自転車で通うようになった中学校。制服も、がらりと変わった通学路も、約一年が経って、大分慣れた。この一年、良くも悪くもたくさんの変化があったと思う。勉強に友達、先生や先輩、そして部活動。全てが新しかった。その一方で、ふと考えるのが自分自身の変化のこと。小学生の頃と、何も変わっていない自分への不安、あせり。それどころか最近を振り返ってみると、中学生になって、通学路が変わって、すれ違う人が増えた分、あいさつは減ってしまっていた。学校内でも正直、礼だけをして通り過ぎる、されたときだけ返す、ということがたくさんあった。また登校中に出会う数少ない地域の方にすら、できていなかった。前はもっとできていたのに。あいさつが話のじゃまになるかもしれないし、そもそも相手も話したことすらない自分に気付いていない。むしろ迷惑だと思われると思っていたから。でも本当は、無視されるのが怖かったからかもしれない。考えれば考えるだけ理由をつけられる自分が情けなくて、変わりたいと思った。今度は絶対、言おうと決めた。その日も、にこにこと会話をはずませながら歩いてくる二人のおばあさんに、あんなコミュニケーション力がほしいと思いながら、すれ違うとき。
「おはようございます。」
軽く頭を下げ、大きな声で、しっかりと相手の目を見て言う。イメージはばっちりできていたけど、多分実際はその半分もできていなかったと思う。自分の声とは思えない、弱々しい声が出た。けれど、吹く風と車がたまに通るくらいの音しかないその場所には、充分だった。
「おはよう。」
にっこり笑顔で返してくれた。その笑顔がただすごくうれしかった。寒さを忘れさせるくらい、心がぽかぽかと温まる。カイロよりも温かい笑顔だった。
 日頃から親しい人にはともかく、初めて見かける地域の方や、接点の少ない友達、誰にでもあいさつをすることは、言葉でいうより、ずっと難しいことだと思う。小学校で「あいさつ」の頭文字をとって、明るく、いつでも、先に、続けて、というものを習った。簡単そうで、難しくて、私は今まだできていない。かといってできている人が正しいとは思わなくて、ただ誰かとすれ違うとき、少し心の片すみに置いておくことの大切さだけは、忘れてはいけないと強く思った。小学生の時、当たり前のように毎日交わした「おはよう」に、きっと理由なんてなかったから。
 そして、二つ目。
 通学路には、いつも渡る横断歩道が一つある。この横断歩道の手前には、飛び出し注意の文字と子どもの絵が描かれた、小さな看板が立っている。この看板は少し古く、文字は所々欠けていて、固定されていないため、強風ですぐ倒れてしまった。私は二回それに気付いた。一回目は立て直した。自転車をわざわざその場に止めて。どうせ今立ててもまた倒れる可能性は高いし、この看板が倒れていたって誰も困らない、という迷いはあった。しかし、丁度手前で信号が赤に変わってしまったことと、早くに家を出ていて、後ろに人がいなかったことで、気付いたなら立てろと言われているような気がしたから立てた。二回目は立てなかった。同じく風が強い日だった。このとき気がついていなかったら、これからも無視し続けていたと思う。その次の日、看板は立っていた。もちろん勝手に立つような仕組みはないから、「誰かが立てた」という事実に、気付いていた者としての罪悪感、尊敬、言葉にできないいろいろな思いが込み上げてきた。
 風が強い日には、この出来事を思い出す。迷いはもうない。倒れた看板を見かけたら、青信号でも、自分が立て直そうと強く思った。
 毎日違う色であふれる、私だけの通学路。そこで何かに気付いたり、感じたりして成長できたら、とても素敵なことだと思う。

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