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「JA共済」小・中学生
作文コンクール

2021年度 第57回 受賞作品

全共連福岡県本部運営委員会会長賞

言葉は文化

宗像市立  自由ヶ丘中学校3年髙木 理央

 「おっとっと取っとってって言っとったのになんで取っとってくれんかったとって言いよると。」あなたはこの文章の意味が分かりますか。おそらく福岡ではこの意味を理解できる人が多いのでしょう。この文章には方言が含まれています。方言とは、地方で話される共通語とは異なった言葉です。例えば、福岡の方言で「からう」これは「背負う」という意味です。他にも「ばり」は「とても」「しきらん」は「できない」などの様々な方言があり、私たちはこれらを何気なく使っています。
 全国にはさまざまな方言があります。中でも福岡の方言は素敵であこがれる方言ランキング第一位です。理由の一つとして「いやや」「いいばい」「だめっちゃ」などの言い方が、親しみやすくほっこりするからなのだそうです。このような方言は、人々の気持ちを和らげあたたかくする、なくてはならない言葉だと思います。
 方言はその地方には身近で、独特の言葉だと思います。しかし、時には大きな誤解を生んでしまう可能性があります。私は小学四年生のときに神奈川県から北九州市に引っ越してきました。だから、先程述べた「おっとっと取っとって……」とはじめて聞いたときは何を言っているのか分かりませんでした。
 また、「何言いよるか聞こえんちゃ」「なんしょん」などの会話の語尾に「~ちゃ」や「~ばい」がついてきて、北九州の人たちは普通にしゃべっていたのでしょうが、私には怒っているように聞こえて怖かった思い出があります。
 さらに「筆箱なおして」の意味が分かりませんでした。神奈川にいた私は「なおす」を「壊れたものを修理する」という意味で理解していました。だから、転校先で先生に「筆箱なおして」と言われても「壊れてないけど」と、とまどいながら一人だけ机の上に筆箱が置いてある状況で、恥ずかしい思いをしました。これらのことは方言の難しさを経験する一つとなりました。
 他にも気付いたことがあります。それは私の住む宗像と北九州でも若干イントネーションが違うということです。どちらかと言うと私には宗像の方がやわらかい印象があり「~ちゃ」や「~ばい」はあまり使っていないことに気付きました。つまり、同じ福岡県内でも少し場所が変わればまた違う印象になるのではないかということです。
 さらに調べてみると、東北地方では寒いため口を長く開けていると冷気で肺がやられてしまうので、単語は短縮される傾向にあるそうです。例えば「どこに行くの。」「銭湯に行ってきます。」という会話。秋田では「どこさ。」「ゆっこさ。」さらに、青森では「どさ。」「ゆさ。」と北上するにつれ言葉が磨き削られていくのです。このような地域ごとで発言が違ったりその地域の環境に合った言葉に変化したりしている方言に、私は果てしない奥深さを感じます。
 石川啄木は、岩手県出身で貧しい生活のなか故郷への恋しさや生活の苦しさを自由に詩や短歌に表した人です。彼は東京に上京しましたが、相変わらず生活は貧しいまま、故郷である岩手に帰るお金もなくなってしまいます。そのような石川啄木は「ふるさとの訛りなつかし停車場の人ごみの中にそを聞きにいく」という短歌を詠んでいます。故郷の方言を聞きに様々な人が行き来する駅に行きます。そうすることで故郷を思い出しいやされたり元気をもらったりしたのでしょう。方言には人をはげましたり、勇気づけたりする力もあるのです。そしてそれは、その土地その土地で昔からつくられてきた文化です。しかし今この文化が衰退しつつあるのです。それは、若者たちが方言を格好悪いと言い、だんだんと方言を使わなくなってきていることが一つの大きな原因です。その土地にはその土地なりの良さや受けつがれてきた歴史や文化があります。方言もそのうちの一つです。方言を格好悪いと思う時期はあるのかもしれません。しかし自分が生まれ育った場所のことを遠く離れている所でも方言を聞いて思い起こせるこの方言は受けついでいくべきだと思います。そのためにも自分たちの生まれた土地には誇りをもつべきだと思います。そうすることでさらによりよい文化も創造されていくのではないかと思います。
 以上のことから、私は方言があると故郷に帰らなくても故郷を思い出せたり、感じたりできて、安心しあたたかい気持ちにさせる力があると思いました。
 この大切な文化を絶やさないためにも、自分たちの生まれた土地の言葉に誇りをもちながら、これからも自分たちの故郷の言葉を次の世代へとつないでいく必要があると思います。

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