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「JA共済」小・中学生
作文コンクール

2021年度 第57回 受賞作品

全共連福岡県本部運営委員会会長賞

曽祖母が遺したもの

私立  博多女子中学校1年 佳音

「かのんさんの成人式までは生きんとね。」
そう言っていた曽祖母が亡くなった。
 昨年九月、台風のため急に決まった休校の日。母が夕食の準備に取り掛かろうとしたとき、母の携帯電話が鳴った。電話を手に取る母。父はあくびをしながら床に寝そべった。ここまでは休日によく目にする我が家の光景だ。しかしこの日は違った。母は目を見開き、電話の画面を凝視したまま、父の足を小突くように三度も蹴ったのだ。母が父を蹴る姿を見たのは、後にも先にもこの一度きりだ。私は思わず息をのんだ。驚いて飛び起きた父と母が小声で何かを話しているが聞き取れない。だが二人の顔が、思わしくない事態を物語っている。私の心臓が、「ドクン、ドクン」と大きな音を立てる。窓の外の不気味な風の音が、私の不安をさらにかき立てる。父と母はすぐに曽祖母のもとへ向かった。翌朝、台風が去ると共に、曽祖母もこの世を去った。八十一才だった。私の成人式はまだ先なのに。台風一過の抜けるような青空があまりに美しく、目に染みた。
 新型コロナウイルスの感染拡大で、離れて暮らす曽祖母と会えずにいる間に、曽祖母にがんが見つかった。入院中は家族の面会も禁止された。最後に会った日から約九カ月後、ようやく会えた曽祖母は、目を開けることも私の名を呼ぶこともなかった。棺の中の曽祖母は、眠っているようにしか見えない。外では蝉が鳴くこんな暑い日に、信じられないほど涼しそうな顔をしていた。私の隣で、九才の妹が大粒の涙を流しながら、声を上げて泣いている。私は泣かなかった。なぜ泣かなかったのか自分でも分からないが、本当は少しも平気ではない。目の前の光景に、頭も心も追いつかないのだ。肺が十分に広がらず、思うように息を吸うことができない。「胸がしめつけられる」という言葉は、こんな感覚なのだろうかと考えていた。
 曽祖母とは一緒にいろいろなことをした。あやとり、お手玉、折り紙。一人暮らしの曽祖母の家には、私や妹、弟が描いた絵が所狭しと貼られていた。トイレの壁にまでびっしりと。私たちが遊びに行くと、曽祖母は必ずおにぎりを作って待ってくれていた。お寿司のシャリ程の小さな俵型で、絶妙な塩加減。海苔は有明海産と決まっている。竹を編んだかごのような弁当箱にきれいに並ぶ姿に、食欲をそそられる。ふんわりと握られたおにぎりは、どんなに満腹でも箸が進む、何よりのご馳走だ。ひ孫に会うことをとても楽しみにしていた曽祖母の想いが、おにぎり一つ一つに込められていたのだと今になって気付く。作る人も食べる人も幸せにする、そんなおにぎりだった。
 曽祖母が亡くなって三カ月後の月命日に、私が曽祖母のおにぎりが好きだったと知った大叔母が、おにぎりを作ってくれた。見た目は曽祖母のおにぎりそっくりだ。私は嬉しくて、意気込んで口に入れた。「あれ、違う。」噛めば噛むほど違和感が募る。塩加減、ふんわり感、海苔の風味、全てが違う。曽祖母のおにぎりとは別物だ。そうか、曽祖母の想いも一緒に握られたあのおにぎりは、もう二度と食べられないのだ。この時、絶対に叶うことのない願いがあるのだと気付いた。それは、曽祖母の死をやっと実感した瞬間でもあった。もう一つ口に運ぶ。やはり違う。噛むうちに、鼻の奥がツーンとし始めた。わさびなど入っていないのに涙目になる。隣で母が、ものすごい勢いで次々とおにぎりを口に運び食べていた。下を向き黙々と食べる母が鼻をすすった。きっと母も私と同じことを考えているのだ。母の悲しみが痛いほど伝わってくる。私も一緒に鼻をすすった。
 私は曽祖母が本当に大好きだった。曽祖母と過ごす時間は、いつも楽しく幸せだった。曽祖母はいつも私に優しく、いつでも味方でいてくれた。私が病気や怪我をすると、自分のこと以上に心配し悲しんでいた。私が頑張ったことは、大袈裟なほどほめてくれた。曽祖母の言葉や笑顔には、私に、前へ進む勇気や自信を与えてくれる力があった。
 曽祖母の死は、今もとても悲しい。そしてこの先も、悩むことや泣くことがきっとたくさんある。だが、私は恐れずに前へ進む。曽祖母が、私に前へ進む勇気と自信をもたせてくれたから。
 曽祖母は、人を思いやる心が、相手に勇気や自信を持たせることを私に教えてくれた。だから私も、いつも私に寄り添ってくれた曽祖母のように、常に思いやりの心を持ち、人に優しくできる人になりたい。
 私は曽祖母に約束する。前を向き、一生懸命生きていく。

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