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「JA共済」小・中学生
作文コンクール

2021年度 第57回 受賞作品

福岡県教育委員会賞

「おはよう」

北九州市立  熊西中学校3年石松 くるみ

 「また遅刻かよ。やっぱりさぼりやろ。」
友達からの言葉に、胸がチクリと痛む。
「違うよ。ちょっとね……。」
そう言って、つくり笑顔を返す。
 今日も遅刻してしまった。今日も朝起きられなかった。昨日はちゃんと早く寝たのに。少し前までは早起きもできていたのに、今では朝が苦手になっていた。二学期に入って、遅刻が増えた気がする。もう私も受験生だ。このままで高校に行けるのだろうか。
 夏休みから塾に通い始めた。それによって生活リズムが変わり、体がまだ慣れていないのだろう。はじめはそう思っていた。いい加減早く起きられるようにならなくちゃ。頭では分かっていても、体が言うことをきかない。毎日、自分に腹が立っていた。
 そんなある日、母から一つの障害の話を聞いた。『起立性調節障害』初めて聞く名前の障害だった。症状は、立ちくらみや頭痛、食欲不振。そして、朝起きるのがつらいこと。ほとんどが私にあてはまっていた。
「一度、病院に行ってみようか。」
母と話して、近隣の市立病院へ診察に行くことにした。
 何度か診察や検査を重ね、病院の先生から『起立性調節障害』と診断された。ほっとしたような、さらに不安になったような、複雑な気持ちになった。
 家に帰って、この障害について自分で調べてみた。思春期に多く、中高生では約五人に一人がこの障害の症状をもっているそうだ。同じような症状に苦しんでいる人が他にもたくさんいることを知った。
 この障害をもつ人自身が書いた記事も読んだ。つらかったことや苦しかったこともまとめられていた。「身近な人に理解してもらえない」、「これから先のことが不安で夜も眠れなかった」私が悩んでいたことがそのまま書かれていた。自然と涙が止まらなくなった。
 私は、学校が大好きだった。友達も先生も学校の雰囲気もすべてが大好きだった。毎日、学校に行くのが楽しかった。それなのに、障害のせいで遅刻や欠席をしてしまう。大好きな学校に行けない。悔しくて、もどかしくて、苦しかった。
 夢を見た。それは志望する高校に行けなくなる夢だった。障害のせいで、試験当日も起きられず、もう行ける高校がない。そんな夢だった。
 目が覚めると、驚くほど泣いていた。不安と恐怖でいっぱいだった。私はその日から、『起立性調節障害』の夢を何度も見るようになった。
 冬休みも近づく十二月。受験生である私たちに、先生は言う。
「遅刻をしない。自分の体調管理は自分でする。受験生だから、基本的なことからもう一度見直そう。」
自分のことを言われているようで、耳が痛かった。同時に色々なことを考えた。遅刻している間も進む授業。友達からの目。受験やその後の高校生活に対しての不安。周りの人に心配や迷惑をかけていること。考えれば考えるほどつらくなった。もう何もかもが嫌になった。
 一度、保健室の先生に相談してみることにした。話し始めると、今まで溜め込んでいた悩みや不安が止まらなくなった。同時に涙も溢れ出てきた。私の話を聞いた先生は、こう言ってくれた。
「あなたの遅刻は怠けでもないし、さぼりでもないんよ。理解してもらうのは難しいかもしれんけど、先生たちは全部ちゃんと分かっとるよ。」
その言葉にほっとして、また涙がこぼれた。自分の悩みを理解してくれている人がいる、それだけでも、気持ちが楽になった。
 私は一人で考え込んで、勝手にネガティブになっていただけなのかもしれない。先生と話してからは、「もっと気楽に考えてみよう」、「もっと自分の心と体と向き合ってみよう」、と思えるようになった。
 それ以来、私は、自分の心と体のために、できることを精いっぱいした。まだ今も、朝起きられなくて学校に遅刻することもある。しかし、少しでも早くこの障害が治るように努力している。
 目覚まし時計で目が覚める。少しきついけれど、今日は調子が良さそう。時間どおりに家を出て、学校の門をくぐる。
「おはよう。」
「おはよう。今日は一時間目から体育やね。」
「今日は何するんかな。バスケやか、バレーやか。どっちも楽しいけど……。」
朝の何気ない挨拶、何気ない会話。当たり前に感じるけれど、私にとっては楽しくて、本当に大切なこと。明日もこんな朝を迎えられますように。

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