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「JA共済」小・中学生
作文コンクール

2021年度 第57回 受賞作品

福岡県教育委員会賞

私の通学カバン

北九州市立  熊西中学校1年宮部 みのり

 「別にいいよ。」
昨年の冬のある日、中学の学用品注文書類に記入をしている母から、通学カバンは、兄のお下がりを使ってみないかと聞かれた私は、深く考えず、そう答えた。
 春休みに入り、新しい制服や体操服、靴など様々な品物が自宅に届いた。私は母と一緒に、一つ一つ確認しながら自分の名前を書いていった。通学カバンには、すでに兄の名前が書いてあるので、母がその上に白いラベルを貼りつけて、私の名前を書いてくれた。
 「いよいよ、中学生になるんだな。」という実感が湧いてきて、期待と不安で胸がいっぱいになった。
 入学式当日、真新しい制服に身を包み、少し緊張しながら中学校へ向かった。通学路には、たくさんの新入生が歩いていた。みんなの背中には、下ろしたての通学カバンが輝いていた。私が家でお下がりの通学カバンを背負っていた時には何も違和感がなかったのに、新しい通学カバンを背負った友人と並ぶと、私のカバンは、古々しく見劣りしてしまう、何とも言えない肩身が狭い気持ちになった。あの時、深く考えもせず、「お下がりを使う」という選択をしてしまった自分自身が腹立たしく、今さらながら心の底から後悔した。
 毎朝毎夕、通学カバンを背負うたびに、私は憂うつな気持ちになった。今からでも、新しい通学カバンを注文できないかと思い悩んでいた。
 ゴールデンウィークが過ぎ、中学の授業が本格的になってきた。教科書の他に資料集やファイルなど、使う教材も多くなり、通学カバンは日に日に重くなっていった。部活動が終わって家に帰り着く頃には、通学カバンの重さが両肩にくい込んで痛いほどだ。私は、玄関に入るとすぐ、ドサリと通学カバンを投げ出した。
 ある日、中学校の教室で下校の支度をしていると、通学カバンの名前のラベルが半分はがれ、兄の名前が見えてしまっていた。誰にも気付かれたわけではないのに、私は顔から火が出るほど、恥ずかしい気持ちになった。家に帰るとすぐ、
「これやから、お下がりのカバンは嫌になる。恥ずかしいけん、今すぐにラベルを貼り直してよ。」
と、母に強い口調で言ってしまった。今まで自分の中に押し込めていた気持ちが思わず、噴出したのだ。母は黙って、ラベルを貼り直していた。その姿をみた私は申し訳ない気持ちになった。しかし、素直に謝ることはできなかった。
 夏になり、通学カバンを背負うと、背中に汗がじっとりとへばりつく。中間テストと期末テストがあり、成績の順位が出た。自分が思っていたより結果が良くなかった。少し落ち込んだ気持ちで日々を過ごしていた。
 そんな時に、再び通学カバンの名前のラベルがはがれて、兄の名前がちらりと顔を出した。私は兄の名前を見た瞬間、はっと気が付いた。兄も私と同じような心境で中学校生活を送っていたのではないかと。
 兄はこの春から大学進学のため、自宅を離れ一人暮らしをしている。その兄がお下がりの通学カバンを通して、「頑張れよ!!」と私にエールを送ってくれているように感じられた。中学校入学以来、ずっと嫌でたまらなかった「お下がりの通学カバン」が、急に、「私だけのかけがえのない特別な通学カバン」に変化した。
 「お下がり=古くて、かっこ悪いもの」と思っていたが、「お下がり=思いをつなげる味わい深いもの」だと、私自身の考えが一八〇度逆転したのだ。
 これからの中学校生活は、やりたいことばかりではなく、つらいことや苦しいことも、たくさんあるだろう。中学三年生になったら、人生初の「高校受験」という大きな壁を乗り越えなければならない。そのことを考えると、私は不安で心が押しつぶされそうになる。でも、私には、この通学カバンがついている。困難と思えることにも、あきらめず、前向きに取り組んでいこうと決めた。
 私は今まで、「兄のお下がり」を使う経験がなかった。小学生の頃は、絵の具セットや書道バッグ、裁縫セットなど、さまざまな学用品を当たり前のように新しくそろえてもらっていた。改めて考えてみると、「お下がり」で代用できたものもたくさんあったと思う。
 今後は、必要な品物があったらすぐ店に行くのではなく、一度立ち止まって考える習慣を付けていきたい。「お下がりを使う」ことは、リユースにつながる。私にとって、一番身近なSDGsだ。

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