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「JA共済」小・中学生
作文コンクール

2016年度 第52回 受賞作品

福岡県教育委員会賞

断捨離

久留米市  福岡教育大学附属久留米中学校3年岡野 陽花

 年末、急に父が断捨離を始めた。あんなに物を捨てることが嫌いで、いつも「物は大切に使ってやらないかん」という父がだ。家族皆が、あ然としている中、一人ポイポイと物を捨てていく。どうやら職場で断捨離についての講演会を聞き、感化されたらしい。そういうことならと今度は母が、そしてなぜか私達まで断捨離をするはめになった。最初は「これいつか絶対使うよなぁ、なんせ高かったし」

と思って、捨てられなかった物もだんだんと何も考えずに分別できるようになり、それと同時に体がスッキリするような気がした。

 小学校のとき使っていた自由帳を捨てようかどうしようか、めずらしく迷いが出たとき、ふと小学校の時の記憶を思い出した。

 小学一年生の頃、長女だったこともあるかもしれないが、とにかくお世話をしたり、人前で何かをしたりすることがものすごく好きだった。クラスの配り物をしたり、「次は掃除だよ││」と声かけをしたり、今思うとかなり活発だったと思う。二年生になり、担任の先生が変わった。始業式の日、私が

「明日はくつ箱の掃除があるから、皆いすの下に上ぐつを入れて帰ってね。」

と呼びかけた。すると先生が

「いえ、違います。上ぐつは、くつ箱に入れて帰っていいですよ。」

とおっしゃった。たぶん先生としては、単純に言い直しただけだが、今となっては「なんでそんなことで」と思うが、当時の私は何か心にシャッと傷ができたような気がした。今ハッキリ覚えているのはこのシーンだけで、そのあとに同じようなことがあったのかどうかは覚えていないが、気がつくと自分から皆に”呼びかける“ということはしなくなった。自分が間違ったことを言ってしまったと変なプライドが傷つけられたのかもしれないし、成長と共に人目を気にするようになったからかもしれない。急激にというより自然となくなったので、自分自身ちょっと傷ができたくらいだと思っていたが、逆に今度は声が渇れたり、出なくなったりするようになった。普通に友達とおしゃべりしたり、教室で発表したりするのは平気なのだ。しかし、大勢の前だと出なくなる。極度なあがり症ではないが、声が泣いているように聞こえる。周りの目を気にすると、余計に出ない……。小学校のころ、唯一の悩みはそれだった。唯一と言っても悩み十個分くらい大きすぎる悩みだった。声のことで緊張して、不安に思うことも多く落ち込んだ。

 中学生になり、「なるべく大勢の前でしゃべるようなことをするのはやめよう」と思っていた。しかし、学校生活を送るうちに、「大丈夫かもしれない」と思いはじめ、ちょっとしたリーダーに立候補した。声が渇れても、隠さずオープンにし、自分の中でもあまり気にしないようにした。気持ちはとても楽になったが、声はあまり治ってはいなかった。堂々と人前で話せる友達を見て、うらやましいなと思っていた。

 三年間なんとか乗り越え、大きな仕事も終わりホッとしたころに一冊の本に出会った。その本のある章に「緊張したっていい」ということがあった。

「緊張はしていい。だけど心配する必要はない。皆に君の成長を、頑張りを見せてあげるんだ。手が震える。大丈夫。だったらその震える手を堂々と見てもらえばいい。君が真剣なんだということを示している。」

 スッと心が軽くなり、かさぶたがはがれるような気持ちになった。

「今まで、どこかで周りを気にしていたんだなぁ」と改めて感じた。人からどうこう思われるとか、どう人の目に映っているかなとか、「あまり感じないようにする」ではなくて、そのような気持ちは「捨てよう」「自分らしくいこう」と思った。

 今までの出来事が一瞬にフラッシュバックし、なぜこの断捨離しているときなのだろうと思ったが、「もう忘れていい、捨てていいという記憶だからか」と自分の中で妙に納得した。振り返れば愛しい記憶もあれば、振り返りたくもない記憶もある。そのような記憶は捨ててもいいのだ。ちょっとずつでも、一個でも心の断捨離をしていかなければ。新しい発見も出てこないだろう。

 そう思って私は、その自由帳を「捨てる」の段ボール箱に入れた。

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