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「JA共済」小・中学生
作文コンクール

2021年度 第57回 受賞作品

福岡県知事賞

希望のいちご

久留米市立  田主丸中学校3年山岡 由愛

 数年前の四月の終わりに、私は長崎県の山中にあるビニールハウスにいた。ハウスの中には隅から隅までいちごの苗が並んでいて、ずっしりと重そうないちごが葉の隙間から顔を出していた。ビニールハウスは、いちご農家である親戚が営んでいて、年に一度私たちは親戚同士で集まっていちご狩りを楽しんでいた。特に兄は果物が大好物で、いちご狩りのときは誰よりもたくさんいちごを食べていた。そのときの兄のとても満足した顔は、最高に幸せそうだった。私はというと、果物が苦手でいちごもあまり進んで食べる方ではない。しかし、このいちご狩りだけは特別で、毎年の楽しみだった。普段会えない親戚に会えるし、スーパーに並んでいるパック詰めのいちごではなく、自分で摘む特別ないちごだったからである。
 ビニールハウスに行くには、親戚の家から坂を上っていかなければならない。そこまで長い距離ではないが、斜面が急な上り坂のため、上り終える頃には息が切れてしまう。しかし私は、早くいちごを摘みたい気持ちを抑えられず、息を整える間もなくビニールハウスの中に飛び込んだ。湿った土の匂いと肌にまとわりつくようなぬるい空気、そしてかすかな甘いいちごの香りが私を迎え入れてくれた。私は摘んだいちごを入れるためのダンボール箱を一つ抱え、いちごを一つ摘んだ。プチッと茎からいちごがとれる音には、何とも言えぬ心地良さがあった。手の上に乗せた艶のあるいちごが太陽の光を浴びて、まるで宝石のルビーのように輝いて見えた。私は、宝物を扱うようにそのいちごをダンボール箱の中にそっと置いた。最初は両手で箱を持って、中のいちごが転がらないようにしていた。しかし、箱の中のいちごの数が増えていくにつれ、摘むことに夢中になり、いちごがどれだけ転がっても気にならなくなった。ゴロゴロと音を立てて箱の中を転がるいちごにおもしろさを感じていたくらいだった。その内、転がる隙間がないくらいいちごは箱いっぱいになり、満足感に満たされた。それでも、ハウスの中にはおいしそうないちごをつけた苗が、まだまだずらりと並んでいる。
 私はいちごがいっぱい詰まった箱を車の後ろに乗せ、ふと、なぜこんなにたくさんのいちごをタダで摘ませてくれるのか疑問に思った。もちろん、親戚だからでもあるだろうが、気になったので母に聞いてみると、商品になるいちごはもう出荷して、次の農作物を植えるために明日には苗を全部抜いてしまうからだと教えてくれた。確かに、いちごを出荷した後に残った苗には、これからまだ大きくなるいちごがたくさんついていて、時間が経てば、今私たちが摘んでいるいちごになるから、処分するのはもったいないと思った。私は少しでも処分されるいちごの数を減らすため、たくさんいちごを摘もうと空の箱を持ってハウスに戻った。
 再びいちごを摘もうと思ったのだが、ずっしりと重そうないちごや真っ赤に熟れたいちごが見あたらない。誰かが摘んだのだろうが、私がハウスを出てから戻るまでそんなに時間はかかっていなかったので、誰がこんなに早く摘んだのか気になった。私は少しだけ探偵になったつもりで犯人を捜すことにした。ハウスの中を見渡すと、果たして犯人はすぐに見つけることができた。犯人は兄だった。兄に見つけられたいちごは俊敏な動きで摘み取られ、次々に口の中に吸い込まれていった。その時の兄のキラキラとした目と表情は、まるでいちごのおいしさや甘さを表しているようだった。また、キビキビと動く兄の姿から、おいしそうないちごを一つ残らず取り尽くしてやるという強い意思が伝わってきた。全力でいちごを摘み、食べる兄を家族や親戚は、温かい目で見守っていた。
 ハウスの外に出ると、春の心地良い風が吹いた。親戚の家に戻ると、山のように大きなかき氷が私を待っていた。ここで採れたいちごを使ったいちごシロップや抹茶シロップなどさまざまな種類のかき氷があった。大きなかき氷を、みんなで分けて食べた。蒸し暑いビニールハウスでたくさん汗を流した後のかき氷は、絶品だった。お腹いっぱいにいちごとかき氷を食べた後、親戚の家の前の小さな水車のある池で遊んだ。この池の水は山の湧き水で、祖母が子供の頃はここでそうめんを冷やして食べていたそうだ。水車からとめどなく流れ落ちる水を見ている時間は、幸せな時間だった。
 しかし、そんな毎年楽しみにしていたいちご狩りは、昨年も今年も行くことはできなかった。親戚に会う回数も減った。新型コロナウイルスの感染予防のために外出を控えているからだ。いちご狩りに行けなくなったことで、今までの普通の生活がどれほど幸せだったのか、その有難さを実感している。
 新型コロナウイルスが終息し、以前のような当たり前の日常が戻ってきてほしいと思うとともに、たくさんの人たちが平和にいちご狩りを楽しめる日が来てほしいと願う。今は以前のようにいちご狩りをする機会がなくなったが、毎年送られてくる箱いっぱいに詰まったいちごを見ると、あのときの記憶を鮮明に思い出し、幸せな気持ちになる。私が苦手ないちごだけど、そのいちごには、ほっこりとした幸せな思い出や希望が詰まっている。

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