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「JA共済」小・中学生
作文コンクール

2020年度 第56回 受賞作品

RKB毎日放送賞

剣道場の二人の鬼

私立  中村学園三陽中学校3年立崎 伊織

 私の通っている中学校の剣道場には、鬼が住み着いている。それも二人も。一人の鬼は真っ黒に日焼けしている体育科の黒鬼。二の腕の太さが、私の太ももくらいある。私が中学校に入学する随分前から剣道場の主として君臨している。七段の腕前の持ち主だ。もう一人の鬼は私が中学二年生になったときに、新しく入ってきた英語科の若い鬼だ。黒鬼とは違い、色白のすらっとした容姿の鬼である。実はこの白鬼にはもう少しのところで勝てそうなのだ。地稽古などで一本勝負をすると、十分以上打ち合うのが普通になってきた。「もう少しで勝てる!」白鬼にかかっていくときの私の心はウキウキと弾む。今の私にとって、最も身近な目標ともいえる存在なのだ。
 夏の大会が終わり、三年生の先輩が引退して、少し経ったある日、黒鬼と五本勝負をする機会を得た。今までは先輩との地稽古や掛かり稽古がほとんどだったので、黒鬼から声をかけられたときは驚いた。が、筋トレの時間も倍に増やして励んできたし、何といっても白鬼を追い詰めるまでにレベルも上がってきた自負があった。並んで待っているとき、冷静にいようと極めて自然な態度に努めたが次から次に沸き立つ興奮をおさえきれずにいた。そして、ついに私の番が回ってきた。
 しかし、そのやる気に満ちた私の心の躍動も、蹲踞をし竹刀を構えたときまでだった。黒鬼の前に立ったとき、自分が大きな勘違いをしていたことにはっきりと気づいた。「まるで打ち込む隙がない。」大声を出して自分を叱咤するが、口の中はからっからに乾いていた。もともと黒鬼は百八十センチくらい背丈があるが、今はその何倍もの大きさに見えた。秒殺だった。これは比喩ではない。あっという間に面、胴、小手……、あらゆる箇所を打ち抜かれ、私は少しも反撃できずに負けてしまったのだ。道場がシーンと静まりかえった。吐く息だけが道場に響いているかのようだった。白鬼は静かに私を見据えていた。
 その日の稽古の最後に、黒鬼と白鬼の模範試合があった。見るとも無しにその試合を眺めていた私は、「どうせ、黒鬼の圧勝だ。」と高をくくっていた。しかし、その試合は私の予想とは裏腹に、非常に厳しく激しい試合となった。白鬼が一気の攻めを見せる。が、黒鬼も白鬼の竹刀をぎりぎりでかわして、すかさず面を打つ。私はいつのまにか、試合に見入っていた。瞬く間に五分間の試合が過ぎ去った。ほんの少しの差で白鬼は負けたように思えた。その直後、自分がどんなに傲慢で身の程を知らない人間だったのかを思い知った。黒鬼はもちろん、白鬼も全く私など相手にしていなかったのだ。先輩や他校の生徒相手に勝ちを重ねていた私は、いつのまにか浮かれ、自惚れ、自分を見失っていたのだ。
 惨敗を喫した翌日の放課後、道場に行くと白鬼が箒で床を掃いていた。私もすぐに箒をもって白鬼の後ろに立ち、床を掃いた。掃除が終わりかけた頃、白鬼がぼそりと私の耳元でつぶやいた。
「俺も完敗だった。」
その言葉を聞いたとき、剣道の奥の深さや、白鬼先生の優しさがぐうっと心を締めつけてきた。私のこれまでの剣道人生がこっぱみじんに砕け散った。あふれる涙をおさえることができなかった。
 数か月が経ち、新年を迎えたある日、再びあの黒鬼先生との試合の機会を得た。私の心は静かだった。五本勝負。先生のタイミングに合わせて礼をし、蹲踞をして竹刀を構える。お互いのタイミングを合わせて立ち上がると同時に、
「ヤー!」
と腹の底から声を出し、間合いをとった。いっときも気が抜けない。気を抜こうものならその瞬間に打ってくる。間合いをつめて反応したところを打とうとしたが、ぴくりとも動いてくれないので、そのまま面に跳ぶがそこに面がくることがわかっていたかのようにかわされた。そこで私は足を止めてしまった。その瞬間、きれいな引面を打たれた。開始数十秒でもう一本をとられてしまった。気を引き締めて、二本目に移る。構えると同時にお互い動き出し、私はいつもとは違うタイミングで小手を打ったが、これまた避けられた。なかなか打ち込めない。再び気を引き締めて構え直した瞬間、黒鬼先生の竹刀が目の前にあった。「ボコン!」と大きな音を立てて、きれいに面をとられてしまった。三本目。呼吸を整えて、竹刀を構える。三分が経過したころ、黒鬼先生がいつも打ってくる構えになったので、小手を打ってきたら小手面で応じ、面を打ってきたら出小手を打つと、心の中で賭けた。そして、黒鬼先生が動いた。瞬間、私の竹刀は自然に小手に向かっていた。「ボコン!」うまく小手が入った。その小手は一本になった。初めて黒鬼先生から一本をとれた。体の奥底から何かが込み上げてくるのがわかった。
 その後すぐに二本とられてしまい負けてしまったが、礼をして戻っても小手を打った感覚がずっと残っていた。この一本は、とらせてもらった一本ではない。白鬼先生の顔もそう言っている。数か月前のあの日から気持ちを入れ直して稽古に励んで生まれた一本であったと思う。

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