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「JA共済」小・中学生
作文コンクール

2020年度 第56回 受賞作品

RKB毎日放送賞

「ただいま」

久留米市立  田主丸中学校2年柳 香菜

 「行ってきます。」
私は元気よくそう言って家を出た。
 祖父はいつも朝早くからリビングの定位置の椅子に座って新聞を読んでいる。私は祖父の隣を何も言わずに通り過ぎて家を出ようとした。すると、祖父が
「いってらっしゃい。気をつけて行かんね。」
とやさしい笑顔で言ってきた。私は
「うん。」
と小さくつぶやいて家を出た。自転車をこぎながら考える。もっと元気に「行ってきます」って言えば良かった。家を出る前、私が「うん」と小さい声で言ったとき、祖父の顔が悲しそうな顔になったことに気づいていた。でも私は、まだ慣れない中学校生活、朝早くから夕方遅くまである部活動で疲れ、祖父にも家族のみんなにも強くあたってしまっていた。帰ったら元気に「ただいま」と言おう。そう考え、頭の中でイメージしながら自転車を走らせた。
「ただいま。」
部活動が終わり、頭の中で練習を思い出しながら家に帰る。家に入る前に祖父のところへ行こうと家の横にある事務所に寄った。でも、そこに祖父はいなくて、疲れて早めに終わったのかな、と思い家に帰った。いつもの椅子にも座っていなかった。お風呂場の明かりがついていて、祖父はお風呂に入っているようだった。上がってきたら言おうと思い、ご飯を作る母と洗濯物をたたむ祖母にだけ
「ただいま。」
と言った。言えた。できるじゃん。練習した通りに言うことができた。何気ないことなのに、なんだか嬉しくなり、祖父に「ただいま」を言うのが楽しみになった。
「じいちゃん、じいちゃん。」
それはご飯を食べているときだった。突然お風呂場から祖母の声がした。母はあわててお風呂場に走って行った。私は訳も分からず、見ていることしかできなかった。頭の整理が追いつかず、突っ立っている私とは反対に、母はとてもあわてている様子だった。そのまま救急車が来て、祖父は救急搬送された。この状況は理解できるはずがないのに、私の目からは大量の涙があふれた。手伝ってと言われ、あふれ出る涙といっしょに床にこぼれた水を拭いた。でも涙は止まらない。怖かった。死んでしまうのではないかと考えると、怖くて怖くてたまらなかった。
「じいちゃんは絶対大丈夫やけんね。」
母にそう言われても怖さは消えなかった。涙が止まらないまま私たちは病院へ向かった。悪い予感は当たってしまったみたいだった。先に着いていた父から
「だめやった。」
と聞いた。その瞬間、悲しさと後悔でいっぱいになった。
 次の日の朝、起きてすぐ祖父のところへ向かった。祖父は真っ白な布団の上できれいな顔をして眠っていた。
「ただいま。」
祖父の表情は変わらない。生きていたらきっとやさしい笑顔で「おかえり」と言ってくれるはずなのに。顔を見ていると、また涙があふれてきた。
 私は祖父のことが大好きだった。祖父はとてもやさしかった。怒っているところなんて一度も見たことがない。私たちのことばかり考えてくれていた。私が小学生だったころは安全に学校へ行けるよう横断歩道まで見送ってくれた。習い事の柔道の試合がある日は、「がんばってね」と送り出してくれたり、時には試合会場まで応援に来てくれたりした。そして、私達にはお金で困ってほしくないと小遣いをくれた。祖父は仕事もすごく頑張っていた。自分で工場を建て、すべて一から始め、お客さんのためにと一生懸命だった。それから、お米を作ったり、家の周りの木を切ったり、朝早くから夜遅くまで働いていた。倒れる少し前までいつものように元気に仕事をしていた。本当に祖父はすてきな人だった。
 祖父の死から私は変わった。祖父のような人になりたいと強く思うようになった。人を大切にして、人のために必死に努力する、そんな人になりたい。また、これからはこのような後悔をしないようにしたいと思う。家族もみんな変わったみたいだった。祖父がいなくなり、祖父の分までみんながいろいろなことをやるようになった。私たち家族は祖父のおかげで仲良く、強くなった。
 そして今日も、
「行ってきます。」
私は元気よくそう言って家を出た。祖父にも届くように。

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