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「JA共済」小・中学生
作文コンクール

2020年度 第56回 受賞作品

西日本新聞社賞

つながりの企画書

国立大学法人  福岡教育大学附属福岡中学校1年佐々木 咲綾

 「 グッドモーニング、エブリワン――。」
 私の朝は、こんなふうに始まる。秋頃から始まった係活動の放送だ。ずっとやってみたかった仕事で、一回一回の放送がとても楽しく感じられている。が、この仕事に立候補したのには、もうひとつ理由がある。学校生活を送る上で、何かひとつ、誰かの役に立つために私にできることをやってみたかったからだ。
 コロナ禍で、中学生活の始めの数ヶ月はほとんど学校へ行かない状態が続いた。入学したてで、クラスさえも分からず、不安だった。
 さらに、学校が始まると、特に勉強が大変に思えてきた。自分でも色々な工夫をこらしてみてはいるが、慣れないことばかりで、学校の課題をこなすと、いつも時計は十二時を回っている。寝不足からか、やる気も出ない。そうなると、文字を書くことも、ペンを持つことも嫌になり、学習の効率も上がらず、時間ばかりがかかる悪循環に陥ってしまった。
 私、ちゃんと卒業できるのかな……。
 そんな焦り、もがく毎日の中、唯一やってみたいと思えたことが、この放送の仕事だった。この仕事を頑張れたら、なりたい自分になれるかもしれない。もっと充実した毎日を送れるかもしれない。そんな思いもあった。
 放送のために、朝早く学校に行くことも、昼休みが少しなくなってしまうことも、正直辛い。でも、自分の声で学校中の人たちに色々な情報を伝えられることが嬉しい。その人の欲しい情報を届けられていないかもしれない。心を閉ざしていて聞こえていない人もいるかもしれない。初めてする仕事で、不安になること、失敗することもたくさんある。それでも私は、放送の力を毎日感じている。
 相手と対話する訳ではなくても、相手と情報を共有することができる力。顔を見ていなくても、離れていても、声だけでつながれる力。
それが、放送の力だと、私は思う。
 放送は、一人ひとりに合わせたことを伝えられる訳ではない。だが一人でも多くの人に何かを伝えようとすることはできる。心を閉ざしている人にも聞きたくなったときに聞いてもらえる。そんな放送に、この仕事に、先生に、そしてみんなに感謝しながら、私は毎日、マイクへ向かう。
 放送を始めて三ケ月が経ち、季節は変わり冬になった。去年の冬、私は受験の真っ只中だった。あの頃もとにかく心配ばかりしていて勉強が手につかないことも多かった。部活の先輩方や係活動の先輩方も、もうすぐ受験だ。大丈夫だろうか。学ぶことが多すぎて嫌になったり、自分を見失ったりしていないだろうか。たくさん助けてもらった先輩方が苦しんでいるのは嫌だ。
 そのようなことをぼんやり考えた。
 三年生の先輩方を少しでも支え、励ましたい。私に出来ることはあるのだろうか。
 私一人の力は、ちっぽけだ。でも、先輩を思う気持ちは他の人も変わらないと思う。一、二年生のそんな気持ちを集めて何か伝えられないだろうか……。
  「放送」
 この二文字が私の頭にひらめいた。
 私は放送の仕事をしているし、放送の力も知っている。
 よしっ。
 私は一人で深くうなずいて紙にペンを走らせた。
  「あら、一心不乱に何を書いているの。」
 夕食を知らせに部屋に来た母の声で、はっと我に返った。
「エヘヘ。内緒。」
と、なんとなく照れ笑いをして私が言うと、
「へえ。なんだか、バリバリの営業担当が企画書を作っているような勢いね。」
と、母は笑い、ご飯よ、と声をかけていった。
 そうか、これが企画書か……。
 一気に書き上げた、思いが詰まった紙の一番上に「企画書」と文字を入れた。
 冬休みが終わったら、先生や先輩方にも相談してみよう。そんなことを考えると、自然と笑みがこぼれた。
 来年はきっと、今年よりも良い年になる。新型コロナウイルス感染症も収束して、全世界の人々が安心して暮らせるようになる。そんな来年になってほしいなあ。
 そう思いつつ年越しそばを口に運んだ。大晦日の夕食にそばを食べるのが我が家のちょっとした伝統だ。つるつる滑るけれど、麺と箸とが絡み合って、なんとかつかみ、食べることができる。
 これが、つながりか。
 なんだか光を見つけたような気がして、気が付くと笑顔になっていた。ふと顔を上げると、仕上がった企画書が心なしか、得意気に光っているように見えた。
 私が思い描く未来のように。

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