2020年度 第56回 受賞作品
福岡県教育委員会賞
鬼姫からの贈り物
太宰府市立 太宰府東中学校3年髙原 紗世
「人間力=音楽力です。」
私の部活動の顧問の先生はいつもそう言っていた。それを初めて聞いたときは意味がよく分からなかった。
「全然音合ってませんけど?」
先生は私たちをにらみつけるような表情で言った。その言葉で音楽室は一気に重い空気に包まれた。何をしても空回りしているだけで進まない。すると顧問の先生はしびれをきらせて、
「もういいです。お昼ご飯にしてください。」
とだけはきすてるように言って音楽室から出て行った。とっさに部長である私はどうにかしないといけないと思い、ご飯をはやく食べて職員室に向かった。
ーコンコンコン。
静かなろう下に鳴り響いた。今すぐにでも走って家に帰ってしまいたいという気持ちだった。だが、私の体は無意識のうちにドアをあけていた。すると、
「何?」
と先生はいつもよりも低い声で言った。私は部をうまく回せていないことについて謝った。
「周り見えてなくない?あんた部長なんやろ。自分のことだけで満足してるようじゃ部長なんてできるわけないやん。」
とあきれたような顔で言った。その瞬間、できていないことへの悔しさ、こんなことを言われた情けなさで目からボロボロと涙が流れ落ちた。家に帰ってテレビを見ても好きな音楽を聞いてもいつも頭のどこかにあの言葉とあきれたような顔があった。いつもは鬼のように怖く厳しい先生の初めて見るようなあきれた表情に私は心から落ちこんだ。
それから、私は部活動中、必死で周りを見ようとした。しかし、やっぱり答えは見つからない。ヒントさえも見つからない。焦りだけがつのっていったある日の練習中。
「返事もあいさつも手抜いとるやろ。」
私はその言葉にハッと気づかされた。そして先生は続けて言った。
「そのことに自分たちで気づけるようにならんと上手くなれるわけないやん。しかも、部長、副部長もボーッとしとるやろ? 良い演奏しようとか無理無理。」
音を良くしたいという思いだけが先走ってそんなこと考えてもなかった。音のことに気をとられて返事やあいさつをおろそかにしてしまっている自分たちがいた。いつも先生が口にしていた「人間力=音楽力」という言葉の意味がやっと少し分かったような気がした。
そして、三月のある日―。練習をしている私たちに事件は起こった。合奏中、ふと先生を見ると珍しく壁に貼ってある「人間力」「音楽力」と書かれた紙をじっと見つめていた。どうしたのかなと心の中で思ったがいつもどおり練習は進んでいった。卒業した先輩方もたくさん来ていて楽しい雰囲気で練習が終わろうとしていた。その時、突然先生の表情が固くなった。
「本日をもって異動することになりました。」
その瞬間、そこにいた全員の時が止まった。先生の話を聞きながら、何人もの部員が涙を流し始めた。もちろん私も涙をこらえることはできなかった。先生は最後まで私たちに
「音楽を通して人としての力を高めてほしい。」
と言った。そして全体の話が終わったあと、不安が大きかった私は、先生のところへ行った。話したいことはたくさんあった。でも先生は背中をポンとたたきながら言った。
「あんたならできるよ。」
本当にショックで何もかも失ったような気分だった。だが、先生からかけてもらった言葉を支えに、部活動に励んだ。今までとは全く違う環境でうまくいかないことも多く、今までとは違った辛さが続く日々だったがそんなときに最後に先生からかけてもらった言葉が私を支え続けた。先生がいなくなってしまったけれど、先生がいた時の私より一回りも二回りも強くなれた自分がいた。ラストステージでは先生を含めこれまで支えてもらった方々へ感謝の気持ちを音にのせて伝えることもできた。最後の一音まで全力で演奏をし、ついに私たちの部活動生活は幕をとじた。
そして、卒部式の日。先生が突然現れた。先生は多くは語らず一言だけ優しい笑顔で言った。
「おつかれさま。」
そのときやっと肩から力が抜け、頑張り続けてよかったと心からそう思えた。
私たちが先生と出る予定だったコンクール。課題曲と自由曲の二曲に三年間の想いを全て込めて演奏するはずだった。特に自由曲は三年生全員で「一人一人の個性を輝かせることのできる曲だ」という思いで「鬼姫」という曲を選んだ。結局、演奏することはできなかった。でも、鬼のように怖く厳しい先生、姫のように優しい笑顔の先生。曲の中に出てくる「鬼姫」の姿と重なった。私たちはやっぱり先生に支えられてきたのだと改めて感じることができた。
そして、やっと私は気づくことができた。先生が伝えたかったことはきっと一つ。「部活動を通して人として成長してほしい」という思いだったはずだ。礼儀やあいさつ、周りの人への感謝の気持ちがどれだけ大切か。私はそれを学ぶことができた。先生のように人間力が大切だと伝えられるような人になりたい。