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「JA共済」小・中学生
作文コンクール

2020年度 第56回 受賞作品

福岡県教育委員会賞

ギフト ~先天性眼瞼下垂~

大木町立  大木中学校1年牟田 龍哉

 先天性眼瞼下垂。
 この病名をはじめて聞く人はたくさんいるのではないだろうか。この病気は、まぶたをつり上げる上眼瞼挙筋という筋肉がうまく発達しないことが原因で、生まれつき上まぶたが下がっている状態になるというものだ。
 平成十九年六月六日。僕は、「先天性眼瞼下垂」という病気とともに、この世に生まれてきた。
 ベッドの隣にいる僕は、なかなか左目を開けない……。
 母は、僕を見つめながら、
「なぜ息子は、左目を開けてくれないのだろう……。」
 こんなことを考えていたそうだ。
 一カ月健診で、僕は視力に問題があると診断され、大学病院を紹介された。母はショックと不安でいっぱいだったらしい。
 大学病院で、僕は、診察を受けた。
 担当医の先生は母に、
「一年間様子を見ていきましょう。」
とおっしゃったそうだ。それから、僕が一歳になるまで、母は僕を連れて毎月毎月検査に通ってくれた。
 僕は一歳になった。検査の結果、担当医の先生からは、視力は問題ないと診断された。母がどんな気持ちでこの診断結果を聞いたのかはわからないが、きっと、これまでの人生で一番長く感じた一年だったと思う。
 小学校に入学するまで、病気のことなど全く気にすることなく、毎日を過ごしてきた。けれども、小学校にあがったとたん、僕は、
「僕の目はみんなとは違う」ということを何かあるたびに思い知らされた。なぜなら、これまで聞かれることがなかったこの「目」について、数え切れないくらい尋ねられることが増えたからだ。いつもいつも同じことの繰り返しで、正直、僕はウンザリしていた。
 病気と診断された目は、担当医の先生のお話のとおり、視力の低下は見られなかった。しかし、なぜか病気にかかっていない右目の視力がどんどんどんどん落ちていった。心配になり、近くの眼科に行ってみた。先生からは、先天性眼瞼下垂の方の目はほとんど使っていない状況なので、逆に病気にかかっていない方の目に負担がかかり、視力が悪くなっていると診断された。
 このまま右目の視力が低下していったら、僕の目はどうなるのだろう……。
 僕の心は、大きな不安でいっぱいになった。
 そこで、手術すれば治るのかどうか、話を聞くために母と一緒に大学病院へ行った。
「手術をしたとしても、何年か経過するとまたもとに戻ります。だから、手術する意味はあまりないと考えてください。」
 先生の言葉を聞いて、僕はこう思った。
 手術しても意味はないのか……。
 診察が終わり、支払い待ちをしていた病院のロビーで知らない人から声をかけられた。
「目、どうしたの?蚊にでも刺された?」
 また、いつもの質問だ。これまでどれだけの人にこの言葉を言われてきたんだろう。
 僕は、尋ねてきた相手の目を見て、はっきりこう答えた。
「生まれつきです。」
 僕の中で何かが変わった。
 僕の目はみんなと違う目。
 みんなの目は先天性眼瞼下垂ではない。
 でも、周りを見回して見ると、一重の人もいれば二重の人もいる。目が大きい人もいれば、小さい人もいる……。
 そう、みんな違うんだ。これは「個性」なんだ。みんな違って、みんないい。
 僕の個性は、この病気なんだ。
 僕は、「先天性眼瞼下垂」という贈り物を授かって、生まれてきた。これまで色々なことがあった。だからこそ、僕は、この贈り物の意味を考える。
 ・他人の痛みやつらさに寄り添える人間になりなさい。
 ・ 人を見た目で判断せず、中身を大切にし、判断できる人間になりなさい。
 ・ 色々な人がいる。自分もその一人であることを意識して生きていきなさい。
 これは、実は母からの言葉だ。病気になっていなければ僕は、このことを意識せずにいたかもしれない。逆に言えば、この病気を通して僕は、人としてとても大切なことを学んでいけているのだと思う。
 これからも僕は、多くの人からこの目について尋ねられるのだろう。でも僕は、僕らしく振る舞っていきたい。なぜなら、この病気になったことで、僕に備わっているすべては「個性」であり、他人と違って当たり前であることに気付くことができたからだ。
 だからこそ僕は、これからも「先天性眼瞼下垂」とともに生きていく。

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