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「JA共済」小・中学生
作文コンクール

2020年度 第56回 受賞作品

福岡県知事賞

空白の欄

うきは市立  浮羽中学校2年佐藤 芽衣

 「どうしよう。そんなに急に言われても。」
中学一年生のとき、担任の先生に将来の夢を考えてくるように言われた。私はそのとき、特に将来の夢もなかったのでとても悩んだ。
 友だちと「そんなに簡単に夢なんて書けんよね。前は決まってたんだけどね。」などと言い合った。本当に小学校の頃ならあまり悩まずに「漫画家になりたい。」って言えたけれど、中学生になって、それがどんなに難しいことか分かった今、簡単には書けない。
 「みんな将来の夢が決まっているのに……適当に書こうかな。」そう思いながら帰宅すると、私は空白になっている将来の夢の欄にペンシルの先を置いた。そこから筆が進まない。一生のことだと思うと、なおさら何も思い浮かばないのだ。
 そのとき、「何してるの?」と背後で母が言った。将来の夢がまだ決まっていない私は、母に説明するのを恥じらいながらも、しぶしぶ相談した。母は「いつかは決まるよ。」と言った。私は何を書けばいいかを聞いたのに。
「お母さんは何で今の仕事に就いたの?」
 私の母は看護師だ。何の考えもなしに聞いた質問だったけれど、後ろにいた母は、話したそうにうずうずしながら私の隣に座った。
「お母さん実はね、保育士になることが夢だったの。亡くなった私のお母さんの夢だったから。でも、私は子どもが少し苦手だったから。でも、今の仕事を選んでよかった。」母は言った。
「でも、なんで看護師になろうと思ったの?看護師って、患者さんのお風呂とか、トイレとかのお世話するんでしょ?しかも、お母さん朝早く仕事に行って、夜遅くに帰ってくるのに。大変じゃない?」
そう聞くと母は、微笑みながら
「大変だよ。とっても大変。でもね、今の仕事が楽しいから。あと、患者さんのお世話、いやじゃないの。むしろ、好きなんだよ。お世話しているときに患者さん、とても楽しそうにお母さんに色々話してくれるから。たとえばね……。」
 母が本当に楽しそうに話しているのを見て、私は心の奥が熱くなった。「看護師ってすごい。」初めて看護師の仕事に興味をもてた気がした。
 母は毎日家族の朝御飯を作る。私の家では家族が家を出る時間はバラバラだ。私は部活動の朝練習があるので七時には家を出る。私が朝ご飯を食べるのは朝六時。家族の中で一番早い。次に兄が七時半に朝ご飯を食べる。冷めるとおいしくないからと、母はわたしたちが食べる時間に合わせて温かい朝食を用意してくれる。そして、自分のご飯は食べる暇もなく、おにぎりを作って、通勤の車の中で食べている。
 晩ご飯の準備はおばあちゃんがしてくれるが、腰が悪くて買い物に行けないので、母は仕事帰りに買い物をして帰宅する。晩ご飯が終わると、家族全員の洗濯をして、お風呂に入ると、食器の洗い物をする。それから家族が翌日着る服を準備してくれる。母が布団に入るのはだいたい十一時を過ぎている。母は毎日休む間もなく働いている。母に対する尊敬の念がわいてきた。
 母はまだ話し続けている。
「お母さんがまだ学生で患者さんのお世話をしているときに、隣でナースコールを押したおばあちゃんがいたの。そのおばあちゃんは喘息で苦しんでいたからお母さんが声をかけたらね、おばあちゃんが『もう死にたい。家族にも迷惑かけて、生きている価値なんてない。』なんて言って。だから『学生の私に相談してくれてありがとうございます。』って言ったら、二人して泣いちゃった。そこにナースコールで駆けつけてきた本当の看護師さんに『えっ。もう大丈夫なの?』って言われて気づいたんだけど、おばあちゃんの苦しい息が治ってたの。すごいよね!」
 私は母の話を聞いて驚いた。看護師はやはりすごい。相談にのって話を聞いて気持ちを寄り添わせるだけで薬も使わずに、心が軽くなって病気が治るんだから。そんな大切な思い出を教えてくれた母に、私は「ありがとう」と言ってペンシルを持ち直し、空白の欄に大きく「看護師」と書いた。
 次の日、「行ってきます!」と大きな声で挨拶し、家を出た。いつもは気づかないのに、庭に花がたくさん咲いているのを見た。大きく息を吸い込んで、すっきりした鮮やかな青色の空を見上げながら登校した。
 教室に入ると友だちが「将来の夢は決まった?」と聞いてきたので、私は自慢げに言った。
「もちろん!お母さんみたいな優しい看護師になる!」

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