2019年度 第55回 受賞作品
西日本新聞社賞
光が結ぶもの
私立 中村学園三陽中学校3年濱野 優二
池の水面に、月がゆらゆら浮かんでいる。フェンスの外側から、私は奥の方の暗闇をじっと凝視していた。諦めて帰れと促すように、木の葉や草がざわざわと囃し立ててくる。だが私は、何も見えない暗闇を見つめたままひたすら待つ。時間の流れが遅い。そのとき、それは姿を現した。小さく心もとないが、堂々とした光を放って。思わずほうと息が漏れた。梅雨の雨が降り始める前の、蛍の舞である。
これは部活動が終わって学校から帰宅しているときの出来事だ。私の家は学校に近いので、毎日徒歩で通学している。下校するときは、もうすっかり陽が落ちている。そして、交通量の多い道路は、人工的な光が行ったり来たりしてせわしない。私は少しうつむいて、足を速めた。大きな道路から道を曲がり、住宅街を進んでいくと、もうすぐ家に着く。自然と足取りも軽くなった。
そんな時、前から一人の女の人が歩いてきた。
「こんばんは。」
お互いに挨拶を交わす。いつもなら会釈して通り過ぎるが、この女性は踊った声でこう話しかけてきた。
「すぐそこに池があるでしょ。蛍がいますよ。」
一瞬、自分の耳が信じられなかった。蛍といえば、年々数が減ってきている貴重な虫である。確かに、この住宅街にはため池があるが、蛍がいそうなきれいなものとは言い難い。
「そうなんですか。ありがとうございます。見てみますね。」
とにかく、行ってみることにした。池についた。寂しい街灯の光が無言で足元を照らす。辺りを見渡すと、やはりさっきの女性の言葉が信じられない。
池はテニスコート二面分ほどの広さで、森に面しているが、三方をコンクリートに囲まれている。水の浅いところは背の高い草が茂っていた。殺風景な池の水面には、ただ丸い月がゆらゆら浮かんでいるだけだった。自然は気まぐれなものだ。蛍がいても、見られないことだってある。私は気長に待つことにした。
しばらくして、もう諦めようかと思ったが、ここで帰ったら何か負けたような気がする。蛍を見るまでは帰らないと心を決めた。対岸の木々がざわざわと何か囃し立てているように聞こえたが気にしない。
そのとき、奥の方に、黄緑色の光がふわっと浮かんだのが見えた。思わず声が出そうになる。よく目を凝らすと、他の場所からも柔らかい光を発しているものがある。あ、あそこにも。
「……ただ一つ二つなど、ほのかにうち光てゆくもをかし。」
一千年前も、人はこの光に魅了されていたのだ。私は蛍たちのプラネタリウムに見入った。自然は気まぐれである上にこんなにも優しく、人を包み込んでくれる。
その日から、私は帰り道に蛍を眺めるのが楽しみになっていた。毎日池に寄って小さな光を待つ。
そんなある日、池のほとりで蛍を待っていると、年配の方が話しかけてきた。
「今日はまだ見えませんね。」
この方も、蛍を見にきているようだ。知らない人と同じ幸福を共有しているとは、胸に温かいものを感じる。
「あっ、あそこにいますよ。」
私は奥の茂みを指差す。名前も知らない二人が、同じ時間、同じ幸福を味わっていた。
最近、気になるニュースがあった。近所付き合いが減り、隣人と挨拶を交わさないようになってきているというものだった。私の地域ではその実感はないが、近所で挨拶をしないように取り決めをした自治体の報道をテレビで見た。防犯上、または挨拶が帰ってこない不快感に起因するものだという。事件の多い昨今だから仕方ないのかもしれないが、私は他人とコミュニケーションをとるべきだと思い、積極的に挨拶をするように心がけている。言葉を交わさない社会とは、一体どのような社会なのだろう。
傘を打つ雨粒が煩わしい。私は足早に家へと向かう。視線を落としたアスファルトの地面では、大粒の水滴が絶え間なく弾けていた。今日は、蛍は見られないな。心に水溜まりができたような感情を覚えた。
そんなときである。一つの淡い光が、私の傘の中に入ってきたのだ。池のすぐそばというわけでもない。帰り道を急いでいた私の足は、驚きで止まった。その光は私の目の前で羽音を響かせ、少しして暗い雨の中に消えていった。励ましに来てくれたのだろうか。私の心に晴れ間がさした。
数日が経ち、やっと天気が晴れたので蛍を見に行った。池のほとりでじっと待つ。今日も近くまで飛んできてくれるかもしれないと、小さな期待が頭をよぎった。だが、いくら待っても、一匹も現れなかった。そんなはずがない。前までそこを飛んでいたではないか。あの茂みから、ふわっと姿を見せたではないか。しかし、蛍は現れなかった。
思い返せば、初めて蛍を見つけてから数週間が経ち、もう梅雨の季節になっていた。もう、蛍の舞は終わったのだ。胸の奥で、淡い光がすっと消えた。「また、来年か。」ふうっとため息が一つ。水面に浮かぶ細くなった月が、小さく揺れていた。