2019年度 第55回 受賞作品
西日本新聞社賞
勝利という花
豊前市立 八屋中学校1年渕上 佳奈恵
つやつや、ふっくら、山盛り。私の目の前には、いちばん食べたかった物がみそ汁のとなりに置かれている。それは、真っ白いたきたてのごはんだ。ある理由のために、しばらく一握りくらいしか食べられなかったごはんが、お茶碗に山盛りつがれている。
「早く、早く、早く。まだ――。」
私は待ちきれず、朝ごはんの準備をしている母と兄に言った。そのくらい、ごはんをおなかいっぱい食べることを待ちわびていたのだ。
私は、小学三年生の頃から習い事を始めた。選んだ競技はボクシング。初めは遊び程度でしていた。しかし、五・六年生くらいから、真剣に練習しだした。
本気で勝ちにいっていた頃、二戦目くらいであるものと出合った。それは……減量。減量はプロの選手だけと思われるかもしれないが、実は私たちみたいな子供にも階級があり、減量が必要になることがあるのだ。
初めて減量をしたのは、小学六年生の頃。〇.七キログラム体重を落とした。一グラムでもオーバーすると失格になるので、減量は大変だった。でも、私は、あまり深く考えておらず、
「大丈夫。大丈夫。ちょっとくらい食べても大丈夫ちゃ。」
と考えていた結果、残り二日間の夜ごはんは「きゅうり半分」だけとなった。結局、計量は合格。減量もその時は短期間だったので試合終了後は、あまりきつくなかった。
二回目の減量は、四月から十二月までだった。この大会は七ヶ月間の間に三回試合をしなければいけない。全国大会に出場するために、地域選抜が六月、プロボクシング協会王者決定戦が九月、そして、ボクシング協会ボクシング統一王座決定戦が十二月と、長期間にわたる減量が必要だ。また、減量を数ヶ月と残りの数ヶ月は現状維持となった。四月から八月まではまだ予想どおりのきつさだったが、九月から十二月までは予想をはるかにこえるきつさだった。
体重の現状維持は、とても大変だった。減らしすぎると、パンチ力が落ちるし、かといって少しでも気をぬくと一気に「バーン」と体重が増えてしまう。ベスト体重を保つことは難しかった。
「たくさん動けば、ご飯がいっぱい食べられるよ。」
そう思ってたくさん練習をしても、食べられるのは赤ちゃんの食事並の量。だからといって練習をさぼれば体重が増える。
常に体重を計る。減っていないときは十五ラウンド続けてずっとサンドバッグを殴っていた。でも、がんばったってごはんは食べられないし……。イライラが日に日に募っていった。
そして、だんだん自由がなくなってきた。
「あれ食べたらだめ。これも食べたらだめ。これを食べなさい。」
と母からも食べものについて色々言われた。でも、それを聞かないと試合に出られないし、これまでしてきたことが無駄になるから、ずっとがんばっていた。
だが、やはり私は自分に甘い。母の目を盗んでお菓子を食べた。
「今日は体重が減っているから、一つくらいなら大丈夫。」
と自分に言い訳しながら我慢しなかった。そのことが母にばれると、また食べたことの言い訳をしていた。いつも、いつも。
そんな私に、あるとき厳しい声が飛んだ。
「そんな現実から逃げるなら、辞退しろ。やめっしまえ。」
ボクシングのことではあまりおこらない父の発言だった。父の一言で私はやっと気づいた。これまでは、楽ばっかりを選んでいたが、今楽をするのではなく終わってから楽をするほうがいいということに。
そこからの三週間は、本当に人が変わったように食事制限をした。体重も少しずつ減っていき、計量では〇.九キロも余裕があり、大成功だった。最後はがんばったおかげか体調もバッチリで試合にも出られた。試合でもベストをつくせたので良かった。
そして家へ帰った。そんな私を待っていたのは、今までずっと我慢してきた、つやつや、ふっくら、山盛りのごはんだった。いつもの量の十倍以上で私を出迎えてくれた。普通のごはんだったが、世界で一番おいしかった。
私は、ボクシングというスポーツを選んで本当によかったと思う。きつい、したくない、めんどうくさい、やめたいなど、何百回も思った。しかし、その分のうれしさや楽しさがある。私はボクシングというスポーツにたくさんのことを教えてもらった。我慢することの大切さや気持ちの持ち方などだ。私はこの先もボクシングという競技を極めていきたい。きっとまた、今回のような壁が目の前に立ちふさがるだろう。そんなときは、今回経験したこと、そして父からの言葉を思い出し、がんばっていきたい。
私は小学三年生で人生という土に、ボクシングという小さな種をまいた。そして、今回はつぼみまで成長させることができたような気がする。あとは勝利という花を咲かせられるくらい強くなるだけだ。
どんな困難が待ちうけていようとも、絶対に負けるなよ。負けるなよ、私。