2019年度 第55回 受賞作品
西日本新聞社賞
かけがえのない大切なもの
福岡市立 田島小学校6年安部 稜埜
会場中に鳴りひびく拍手。どん帳が下がり終わると、ぼくは今までに味わったことのない達成感で胸がいっぱいになった。
二ヶ月前の十月初旬、学校で配布された一枚のプリントを手に、ぼくは足早に帰宅した。
「ただいま。」
いつもより大きな声でそう叫ぶと、
「びっくりした、どうしたん。なんかうれしそうやな。」
と母は目を丸くして迎えてくれた。母のかんはいつもするどい。ぼくの高ぶった気持ちをこの日もお見通しだった。大切に持ち帰ったのは、学校劇参加のプリントだ。学校劇とは、三年生以上の希望者が集まって一つの劇をつくり上げるものだ。
「これに出たいんやけど。」
と声を弾ませて母に言った。すると、母の表情は少しずつくもり始め、それからしばらく、お互い沈黙の時間が流れた。
そういえば、去年も同じ感じだった。うちには三才になる妹がいて、夜遅い時間の送迎や生活リズムが崩れることを母はとても嫌がっていた。だから、昨年は「参加はできない。」と言われたのだ。また今年もか。高学年にもなれば分かる、親の顔色の変化。返事を聞くまでもない重い空気に、ぼくは胸がキュッとなり、息苦しかった。間もなく、母からは予想通りのあいまいな答えが出され、それを聞いたぼくは、平常心を保とうとすればするほど涙が出てきそうで、胸が張りさけそうだった。それから、母に向けるまなざしがどんどんきつくなっていくのを、自分でも嫌になるほど感じていた。そんな自分にはなりたくないはずなのに。
しかし、今日、ぼくはこうしてこのステージに立つことができている。それは、あの後行われた父母とぼくとの家族会議によって出された結論があってこそのものだった。
一ヶ月半の練習。学校劇初参加のぼくにとって、発声の仕方も、身のふり方や感情表現の強弱のつけ方も、その何もかもが難しく、一日一日の課題をこなしていくのがやっとだった。それでも、本番の日を迎えることが出来たのは、先生のサポートや友人と築き上げた練習の成果がぼくの自信へとつながったからである。そして、何といってもそれを支えてくれたのは、家族全員だ。
こうして大成功に終わった学校劇。「この仲間と一つの劇をつくり上げることができた。」という思いがこみ上げてきた。帰り際、ロビーへ向かったぼくが目にしたものは、指導してくださった先生に涙を流しながらお礼を伝える母の姿だった。その母の姿に、思わず泣いてしまいそうだった。父母へ今度は素直に、
「ありがとうございました。」
と言うことができた。心からの感謝の気持ちだった。改めて、自分は多くの人に支えられているのだと感じた。小学校最後の冬、ぼくは、かけがえのない大切なものに気付かされた。