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「JA共済」小・中学生
作文コンクール

2019年度 第55回 受賞作品

福岡県教育委員会賞

「手」

私立  飯塚日新館中学校2年瀧本 咲希

 私が小学生の頃、一つの「手」に出会った。それは、有名人のものでもスポーツ選手のものでもない。農家の人の手だ。特別とは言いがたいが、ある日見せてもらったその手は、私にとってとても輝かしいものだった――。
 私がその手に出会った頃、家は四方八方を山に囲まれ、どこを見ても田んぼしかないような場所に建っていた。今ではそんな山の中で暮らすなんて考えられないが、当時の私はなぜかその場所が大好きだった。帰宅中にどこからともなくしてくる落ち葉を燃やす匂い。秋には黄色で染まる銀杏の木。たくさんのアメンボが泳いでいるプール。全てが好きだった。
 そんな小学校生活の中で一番心に残っているのは田植えだ。私が通っていた小学校は自然に囲まれていたおかげで、体験型である行事が多かった。私にとって体験型の行事の一つ一つはただ「楽しいもの」であった。本来の目的など一度も考えず、ひたすら楽しむことに専念してきた。楽しむことが一番大切と思い込んでいたのかもしれない。
 そんな考え方をひっくり返されたのは、小学五年生のときに行われた田植えだった。当時の私は前年のようにはしゃぐため田んぼまで歩いた。泥を投げ合って遊ぼう、と考えると胸が弾んで走り出してしまいそうだった。着いたとき、農家の人はいなかった。ふと田んぼの方を見ると一人で苗を植えている農家の人の姿があった。それはとてもたくましく一回り大きく見えた。田んぼを見てみると一つ一つとても丁寧に植えてあり、苗が一直線上に並んでいた。浮ついた心が地面に叩き落とされた気分だった。私は、こんな意識のもち方でいいのかと思わされた。食べ物をつくる、米をつくるということに対して今の自分のような気持ちで大丈夫なのか。失礼ではないのか。そんな不安がこみあげてきた。そのあと聞いた農家の人の言葉は今でも忘れられない。「米をつくるということをそんなに甘く見てはいけない。田植えを楽しむ気持ちも大切だけど、自分の植えた苗が誰かを笑顔にすることができるかどうかが大切。」この言葉が私の背中をそっと押してくれた。
 農家の人の言葉を聞いてから、私は自分が植えた苗がどんな味の米になるのかだけを考え、田植えをした。なんだかわくわくする気持ちに襲われた。考えれば考えるほど期待で胸がいっぱいになった。田植えが終わる頃にはもう稲刈りのことを考えていた。自分が植えた苗がどんな稲になるのかがとても気になっていた。私がつくった米が誰かを笑顔にすることができるほどおいしくなるのか――。そんなことだけを想像して学校まで戻った。米を、食べ物をつくることは誰かのためにすることであり、自分のためではないと初めて分かった。農家の人の言葉によって、食べ物をつくる上で自分が楽しむことよりも、他人が喜ぶことを優先することが大切な事柄だと気づかされた。この経験は私の人生できっと役に立つに違いない。
 田植えが一番心に残ったのには、もう一つ理由がある。それは、農家の人の「手」だ。見せてもらった手はまめだらけで皮がぶ厚くなっていた。とても七十歳の手には思えないほど、力強さがにじみ出ていた。一般的な目で見ると泥のついた汚い手という印象だろうが、私には笑顔をつくってきたすばらしい手に見えた。人のため、農業に人生を尽くしてきた人の手は、やはり違うと思い知らされた。私も自分の人生を誰かのために使いたい。誰か困っている人のために。
 私が過ごした六年間の小学校生活はとても有意義なものだった。自然であふれており、様々な体験ができた。その一つ一つの体験が私を成長させてくれたと思っている。田植えもその一つだ。農家の人の手は私にとって羨ましいものであり、あこがれでもあった。田植えのあと、農家の人が私たちが植えた苗を育ててくれたらしい。一つも枯らすことなく。私だったら飽きっぽい性格が出てしまい、放置してしまうかもしれない。米作りには続ける気力がいるのだと改めて感じた。育ててもらった米は甘くおいしかった。その味は今でも覚えている。
 今思えば、私が自然の中で過ごした六年間は様々な「手」によって支えられていたのかもしれない。両親の手、先生の手、地域の人の手。そして、農家の人の「手」――。私も自分の「手」で誰かを助け、支えていきたいと思っている。今の私の「手」は落書きだらけでなさけない。しかし、この先、数年前見せてもらった農家の人の「手」に少しでも近づけるように努力していこうと考えている。

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