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「JA共済」小・中学生
作文コンクール

2017年度 第53回 受賞作品

RKB毎日放送賞

手をさしのべられる人に

東峰村立  東峰中学校1年山平 真由

 私の一番心に残ったことは七月五日の九州北部豪雨です。その時私は、学校にいました。初めは雨が降り、みんなも軽く心配をしていた程度でした。しかし、雨は何時間も降り続きました。スクールバスで帰ることが出来なくなり、学校に泊まることになりました。体操マットを準備して、ベッドを作りました。先生方は「今出るうちに」と水道から水を出して、バケツやペットボトルに入れていました。水道から流れる水の音と雨の音と話し声が広がっていて、私はようやく事の重大さに気が付きました。

 一―九年生の学年を二つに分け、ランチルームで寝る学年、多目的ホールで寝る学年と分けました。私の学年は多目的ホールでした。一年生等の小学生と一緒でした。「小学生が不安にならないように、たくさん遊んであげて」と先生から言われて、みんな小学生と遊んでいました。小学生は笑顔でしたが、時々見せる不安な表情を見ると、私たちが元気づけなければと思いました。おなかがすいた頃夕食としてオムレツとおにぎりを頂いてみんな大事に食べていました。寝る前に先生が「おにぎりを食べる人はおいで。」とおっしゃいました。私は友達とおにぎりを食べに行きました。その頃は停電してすでに四時間程経っていました。暗い職員室におぼんにのせられたおにぎりがあり、その周りにランプがありました。ランプの光や先生方のスマホの光だけでしたが、友だちや先生がそばに居たのですごく安心しました。おにぎりを渡されると温かくて、食べると塩のほんのりしょっぱい味や噛めば噛む程出る米の甘さが口の中に広がっていました。

「おいしいね。」

と友達が言いました。

「うん。こんなにおにぎりがおいしいなんて思わんかった。」

と、私は答えました。

「こういう時に食べ物のありがたさを感じるね。」と先生がおっしゃいました。私は本当にそのとおりだなと思いました。そして私たちは早く家に帰りたいなと思いながら一夜を過ごしました。

 七月六日、学校で朝を迎えました。体操マットで寝ていたので、体の至るところが痛くて寝た感じがしませんでした。朝食もおにぎりなどで、おにぎりの中に肉が入っていました。私は食欲がなくてそのおにぎりは持ち帰りにしました。それから、私たちは教室で夏休みの宿題をしていました。窓から見える景色はいつも見る景色ではなくて、一番先にこわいという感情が芽生えました。そして、父や母、妹のことが心配になりました。その時先生から、○○さんお迎えですという声が聞こえました。しばらくすると、私の名前も呼ばれました。比較的早く迎えが来て私はほっとしました。しかし、その気持ちは学校を出た瞬間、恐怖へと変わりました。

 家族との再会を私は喜んでいました。それとともに、学校を出たら、土砂崩れ等の災害があるんだろうと心構えをしていました。しかし、学校を出た瞬間、私の予想をはるかに超える現実が目の前に迫ってきました。森を見ると至る所が土砂崩れになり、茶色い地面が見えていました。近くの橋は水浸しで、橋を歩くと靴の中に水が入ってきて靴下までびしょ濡れになりました。一回家の様子を見るために家に帰ることにしました。家に帰ると、近所の方の家は壊れ、そこの冷蔵庫から腐れた食材のにおいが家まで届いていました。電気も水も使えません。かいだことのない強烈なにおいもありました。その状態は私が住んでいる、いつもの家の様子ではありませんでした。そして何より、家の裏山の大規模な土砂崩れにより木が家に倒れかかっていました。その木を一本の電柱が支えてくれたので私の家は何とか壊れずに済んだのです。その後、私達は祖母の家で一ヶ月過ごしました。幸いなことに祖母の家は地下水なので水にも困らず、飲食店を経営しているため、食べ物にも困りませんでした。私が祖母の家にずっといた頃、外ではたくさんのボランティアの方や自衛隊の方、工事の方がいて、私はすごく嬉しく、そしてありがたく思いました。自宅に戻ってから、木は工事の方が切断してくださって、近くの土砂もボランティアの方がとってくださいました。そして、私たちはたくさんの方に助けられ、これまでの生活に戻ろうとしています。

 私は、九州北部豪雨により、自然の恐ろしさを感じました。そして、何より、人の温かさを感じました。助けてもらう側になり、助けてくださった方々のありがたさを感じました。

 だから、私はこれから助ける側になって、つらい人や苦しい人の側で手をさしのべられる人になりたいと思います。

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