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「JA共済」小・中学生
作文コンクール

2019年度 第55回 受賞作品

福岡県知事賞

ホットケーキ

久留米市立  田主丸中学校3年上田 桃葉

 家族。それは、温かくて、頼もしくて、優しく包み込んでくれるような存在。でも、時にぶつかり合ったり、傷つけてしまったり。どんなに大きなケンカをしても、もう何も話さないと思っていても、結局、仲直りをしているような存在。そんな存在こそが家族のあり方ではないのでしょうか。
 私は最近、家庭科の授業や赤ちゃんふれあい体験、家族愛についての映画やドラマを見て、「家族とは何だろう。」と、ふと考える機会がありました。そこでまず、「家族」という言葉を辞書で調べました。するとそこには、「同じ家に住む夫婦、親子、兄弟など、近い血縁の人々」と書いてありました。正直、この言葉には、少し違和感を感じました。私は、家族とは、愛とか絆とか、目には見えないようなつながりがある特別な人というようなものだと書いてあると思っていました。しかし、実際に書いてあったのは、とても現実的というか、物理的というか、なんだか、想像していたこととは違い、驚きです。辞書で家族というものを言葉で表すとそういう形になってしまうのかもしれないけれど、私は、「見えない愛」というものが大切だと思います。去年の夏頃、そのように考えさせられる機会がありました。
 去年の夏、前の年の九州北部豪雨と同じくらいの強い雨が降り、学校に親から迎えに来てもらった日がありました。それは七月六日のことでした。次の日は土曜日で、私は、弟と母と、習い事の習字に行っていました。私は、とても調子がよく、弟よりも先に課題を終え、片づけをしている最中でした。すると突然、母の携帯が鳴ったのです。最初は、普通の電話かと思いました。しかし、母が、顔色を変えた様子で、
「すぐ帰るよ。急いで準備をしなさい。」
と言ったので、なんとなく嫌な予感がしました。小学生だった弟もそれを感じとったのか、その場では、何も理由を聞きませんでした。車に乗って家に向かう途中、ぴんと張りつめた重い空気の中、
「ねえ、何があったと。」
と聞きました。母からの返事は、
「おじいちゃんが二階から転落して、病院に運ばれたらしい。」
という一言でした。私が一番最初に思ったことは、「あぁ、またか。」でした。祖父は昔、大工をしていて、その仕事中に転落したことが二回あったそうです。私は、その話を聞いていたので、正直、あまり驚きませんでした。どうせ大丈夫なんだろうと思っていました。
 この日の朝、私がバラエティー番組を見ていると、祖父が、
「そげなんもんばっかり見てから。勉強をせんか。」
と言ってきました。私は、祖父の一言に、イラッとしてしまい、いつもなら「はいはい。」と言って終わっていたところを、
「なんで、じいちゃんにそんなこと言われんといかんとね。」
と言い返してしまいました。それから、なんだか気まずくなって、家を出るまで一言もしゃべりませんでした。その時は、想像してもみませんでした。それが最後の会話だなんて。
 七月七日。七夕の日。祖父は八十九歳で亡くなりました。次の日には通夜があり、月曜日には葬式がありました。そこで見た祖父の顔は、厳格でどこか堅苦しいような今までの顔とは違い、やすらかで優しそうな顔をしていました。もうこの世にはいない祖父の姿を見ていると、たくさんの思い出がよみがえってきました。テレビを見ていて怒られたこと。テストで百点をとってほめられたこと。修学旅行のおこづかいをくれたこと。他にもたくさんの思い出があったけれど、一番の思い出は、私が作ったホットケーキを食べてくれたことです。祖父はご飯が好きで、あまりパンを食べませんでした。でも、私が作ったホットケーキだけは、残さず食べてくれました。口数が少ない祖父からの
「おいしい。」
という言葉は今でも忘れません。意見が合わず、何回も言い争いをしたけれど、私のことを可愛がってくれていたんだなと思いました。成長していく姿を親と同じくらい楽しみにしてくれていたんだと思いました。それと同時に、なぜ今までそれに気づけなかったのだろうと後悔しました。
 私は、大切な家族との死を通して、人と人との間では「見えない愛」という形があるということを学びました。人はよく、「本当に大切なものは失ってから気づく」と言うけれど、本当にそのとおりだなと思いました。そして、その「見えない愛」を大切にしていこうと決心しました。それに気づかせてくれた祖父には、感謝しかありません。もう、ホットケーキを仏壇に供えても、「おいしい」という声は聞こえないけれど、天国でおいしそうに食べてくれる姿が目にうかんできます。

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