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「JA共済」小・中学生
作文コンクール

2018年度 第54回 受賞作品

RKB毎日放送賞

一 番になれ

久留米市立  田主丸中学校3年中野 佐耶

 「一番になれ。なんでもいいから一番になりなさい。」
 小さい頃から何度も父から言われてきた言葉です。この言葉にはどんな意味が込められているのでしょうか。
 私は父、母、祖母、兄二人の六人家族です。両親は九人の従業員をやといながら花を栽培しています。季節によって約百四十種類それぞれの色がハウス中にあふれています。
 父は田主丸で生まれ育ち、たくさんの自然とふれあっているうちに、花をつくりたいと思うようになったそうです。高校に進学し、だれよりも花に興味をもち、一人で少しずつ栽培していました。高校卒業後、千葉に二年間研修に行き、たくさんのことを学び、それは植物に対する想いや考え方など、今の父の基本となりました。研修が終わり、ガラスハウスを建て、栽培の仕事を開始しました。順調にまわりはじめたと思いました。しかし、一九九一年の台風十七、十九号によってガラスは割れ、花はすべて落ちてしまいました。当時の写真を見ると、今の父からでは考えられないと思うほど悲惨な状態だったのです。私は胸の奥がズキンとして、しめつけられたように感じました。それでも父は周りの人に助けてもらいながらなんとか元の状態にもどすことができました。それから父は苦労しながら花をつくり続けて今では十一棟ものハウスで従業員と毎日花と向き合っています。
 父はいつもすべてのハウスにラジオを流しています。私は従業員が聞けるようにしているのだと思っていましたが父に聞いてみると
「あれは従業員さんだけじゃなくて花にも聞かせよるとよ。花も人も同じで、楽しかったら笑顔になる。花が笑顔になって、きれいになったらお客さんも喜ぶ。お客さんが喜んでくれるような花をつくりたい。」
と言いました。植物に話しかけるときれいになるとよくいいますが父はそれを実行していたのです。私は半信半疑でしたが父はいろいろなことを実行してきたからでしょう。今までに農林水産大臣賞をはじめ多くの賞をいただいてきました。「人が笑顔になれるような花をつくる」ためには、たくさんの経験と想いが大切だと気づかされました。
 「台風が来た時に悲惨な状態でおどろいた」と言いましたが、そう思った理由は私がある体験をしたからです。二〇一五年八月二五日に台風十五号がきました。台風がくる一週間前から父は対策を考えていました。前日にはパイプハウスのビニールをすべてはぎ、万全の準備をしました。翌日、父、母、兄と私で復旧作業に取り組みました。それぞれが作業をしていると父が突然、
「ビニールはるぞ」
と私たちに言いました。私は今日!?雨も風も激しいままなのに、今日せんでもよくない?と思いました。しかし、父は真剣な顔で
「お母さんと瑛仁は西側、皓貴と佐耶は東側に行って。」
と指示し、二メートルある骨組みだけのハウスにすばやく登っていったのです。父の真剣な顔にみんなも自然と力がはいり、雨でびしょぬれになりながら声をかけあいました。どろで汚れても、指先が凍りそうなくらい冷たくても関係ありません。今、この自分の仕事をきちんと最後までやりぬく。そして、絶対に今日中に終わらせる、というみんなの想いを感じました。私はこれまで家族と過ごしてきて、初めて家族の団結力を知りました。いつもの優しい父の顔ではなく、眉間にしわをよせ声をはりあげる父の姿も初めてみました。作業が無事に終わるとみんな安心しました。さっきまでビニールを引き、どろだらけになっていたのを忘れるくらいの笑顔でした。家に帰り、その時の話をしていると父は身長、力の強さ、次に作業することなどを一瞬で考えていました。すごいなと思うのと同時に、尊敬しました。父は何か指示を出す時、その人の力を百二十パーセント発揮できるようにすることを基準にして作業がスムーズに行えるようにしています。特別に学んだわけでもなくそのような考えがあるのは、父の心の中に一鉢一鉢を大切にして、人を笑顔にしたいと想う気持ちがあるからだと思います。
 今、父の十棟のハウスはプルマージュ、アイスプリンセス、ミルキーガール、ルチアなどさまざまな色や形のシクラメンが咲き誇り、今日の出荷を待っています。「一番になれ。」この言葉には、ただ一番を目指すだけでなく、苦しんで苦しんで、その先にある喜びを知ってほしいという想いがあると思います。また、何かを成し遂げるには人の助けが必要です。素直に感謝し、感謝される人間になることで自分に自信がもて、何かと真剣に向き合うきっかけになると思います。

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