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「JA共済」小・中学生
作文コンクール

2018年度 第54回 受賞作品

RKB毎日放送賞

大正生まれのおくり物

福岡市立  席田小学校6年永田 紗世

 十二月の寒い夜、曽祖母は亡くなった。入院して、ちょうど一年の夜だった。九十七歳。大往生だとみんな言う。でも、私は十二歳。曽祖母との思い出は十二年しかない。
 私の知っている曽祖母は、白髪のおばあちゃん。左利きの私に、いつも「右利きになれますように……。」と言っていた。礼儀作法に厳しくて、畳のへりをふむとおこられた。でも、勉強や吹奏楽の練習をがんばる私を、いつもほめてくれ、ニコニコ笑顔でおかしをくれた。
「がんばりやさんの紗世ちゃんは、無理しないか心配よ。」
と言われ、心がじんわり温かくなった。
 亡くなる二週間くらい前の事。曽祖母が、
「昨日、おもちつきをして、足が痛むの。」
と笑顔で言った。私が生まれたときから、曽祖母は一人で歩けない。だけど、うれしそうにおもちつきをしたと話している曽祖母に、みんなが話を合わせる。ニコニコ笑顔で、みんなに、
「ありがとう。楽しかったね。」
と言う。私はうれしかった。ずっと病院のベッドの上の曽祖母が、ベッドを飛び出し、元気にもちつきをしている姿を想像すると、なんだか楽しくて、うれしかった。
 十二月二十一日。音楽グループの「ミサンガ」のコンサートに、バックコーラスで参加した。歌は、認知症のおばあちゃんにおくる歌だ。その歌の歌詞に「『じゃあねまたね』と手をふるたび、あと何回会えるのだろう。」とある。私もお見舞いの帰りいつも思っていた。そして、今、会えなくなった。別れ際に、しわくちゃの細い手で、ギュッとにぎられた手の感触だけを今でも思い出すことができる。そして、「ねえばあちゃん、ありがとうと言葉は消えてしまうけれど、ねえばあちゃん、溢れ出したこの想いは届いているよね。」と歌詞は続く。曽祖母に伝えたい言葉はたくさんあるけれど、「ありがとう。」を一番伝えたいと思いながら、ステージで歌った。この気持ちが曽祖母に届いているだろうか。
 私にとって曽祖母は生きていた歴史の教科書だ。大正、昭和、平成を生きた曽祖母。いつの時代も彼女は、日本の四季を楽しみ、日本の作法を大切に、そしていつでも自分らしく……。そう生きてきた曽祖母から、日本を楽しむ方法や、自分らしく生きることのすばらしさを教えてもらった。大切な毎日を自分らしく、楽しんで、曽祖母の歴史のように、私の歴史をつくっていこうと思う。
「ひいおばあちゃん、見ていてね。」

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