ホーム > 小・中学生作文コンクール > 過去の受賞作品

「JA共済」小・中学生
作文コンクール

2018年度 第54回 受賞作品

RKB毎日放送賞

弱い心に対抗して

うきは市立  吉井中学校2年本田 葉音

 中学生になり、身長が伸びたり、体重が増えたりとみんなに成長が見られます。また、視力や聴力に変化が見られる人も多いようです。
 私は、右の耳が生まれつき聞こえません。小学校四年生のころ、耳が聞こえるようにするためと耳の形を整えるために、三回に渡って手術をしてきました。耳の形は他の人と同じようになりましたが、聴力を上げることはできませんでした。当時は、耳の形が整えられたことだけでも嬉しくて、聴力のことに関しては、何も気にしていませんでした。もちろん、小学校生活にも支障はありませんでした。席の位置を変えれば解決することだったので困ることはありませんでした。
 中学生になると小学生のころと違い、さまざまな場面で困ることが出てきました。授業中は席を考えてくれているのでよいのですが班の人との交流、移動なども増えて、そのたびにいろいろ考えてしまいます。私は常に誰かの右側にいなければならない状況が多くなりました。そうしなければ何を話しているか聞こえないからです。
 行事で困るのはまず体育祭。練習中でも本番でも、団長さんからの指示も、先生方の話も左側にいた私には聞こえづらいものでした。それから文化祭。パート練習をしたり、皆で合わせたりする合唱練習のとき、私の右側には人がいたため、声をきれいに聞きとることもなく過ごしてきました。歌声や音程を合わせたり、確認したりすることもうまくできませんでした。また修学旅行やふれあい教室などの学校外の行事も大変でした。学校の人だけでなく、観光客や地域住民もいて、人混みの中では先生の声が聞きとれないこともありました。私にとってこんな状況は、苦痛でなりませんでした。
 中学生になり、右耳が聞こえないことの不便さを痛感しました。周りの環境も今までとは異なっています。体のピースが一つだけでも不完全であると、いずれいろいろな場面で支障をきたし、自分にとって大きな負担になるかもしれないと感じています。
 中学生になる前の私は、自分の耳のことに関して気にすることはなく、身障者の方を見ても無関心でした。「あっ、この人は○○に障がいのある人なのかな」と思うだけでした。とにかく私には関わりのないことだと、冷たい感情しか抱いていませんでした。
 中学生になって、聞こえないことの不便さに気づき、誰かが右側にいる苦痛を、毎日のように感じてきました。このことは友だちには気遣われるのが嫌で、話すことができずに悩んでいました。
 そのようなとき、私は毎日のように母に相談をしていました。
「なんで私だけこんなふうになったの。皆が何を言っているかわからんし、でもそれを友だちに言いたくないし……。聞こえるようになりたいから手術しようかな、耳の形より聞こえるようになることの方がよかったな。」
と言ったこともあります。しかし母は、
「それは欲が出とる。耳の形が皆と一緒になったから、今はそう思っているだけよ。」
と言います。そして母はいろいろな身障者の方の話をしてくれました。耳の形さえも手術ができず、それでも頑張っている人がいることを知り、私は自分の耳が整えられたころの喜びを再認識させられました。耳が聞こえるようになるという保証がなかったということも思い出しました。小学生のとき、三回の手術を受け、痛い、辛い日々を見てきた母からすると、今残されている左耳の機能をしっかりひき出すことが良いと考えていたのです。
 私の母は訪問看護の仕事をしています。私よりも体に不自由を感じて生きている人がいることを教えてくれました。自分の体が不自由なことを受け入れ、それをどのように克服しているのか、そしてどのように過ごしているかなど、母が今まで見てきたことを話してくれました。そこで私は、自分よりもきつい思いをしながら頑張っている人がたくさんいることを考えさせられました。私はまだまだ頑張ることができるのではないか、とも考えました。考えが変わってきたのだと思います。
 今は身障者の方に対して、自分の体と向き合って、精一杯頑張っていることへの尊敬の気持ちがあります。私は耳のことはもちろん、少しのことで傷ついたり、落ち込んだりしています。私より生活に支障をきたしているのに前を向いて進んでいるのは、私にはない弱い心への対抗心を持っているからだと思います。私は当たり前に日常生活ができている、それは幸せなことなんだと思うようになりました。
 これからは、もっと一日一日を大切に過ごし、感謝の気持ちを忘れずに生きていきたいと思います。

ページ上へ