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「JA共済」小・中学生
作文コンクール

2018年度 第54回 受賞作品

全共連福岡県本部運営委員会会長賞

私の目指す光

朝倉市立  杷木中学校3年都合 彩菜

 その日はいつもと変わらない朝でした。いつものように登校し、授業を受けていました。当たり前のように友だちと話して、「普通」の日常を過ごしていました。
 日常は、非日常へと変わりました。昼になると、雨が激しさを増し、先生方の会議の結果、いつもよりも早く帰ることになりました。私は友だちとゆっくりと帰っていました。雷と雨音がうるさくて、気を紛らわすように話をしながら。その時までは、迫っていた危険を感じることができなかったのです。
 最初に異変を感じたのは、友だちと別れてからの帰り道でした。その道は川沿いで、川を見ると、目を疑うくらいに増水していました。急いで帰宅すると、家には誰もいませんでした。しばらくして弟と父が帰宅しました。私たちを心配してくれた母が帰れず、父に電話をして、高速道路を使って帰ってもらったのです。このような非常時でも、父がいたおかげでパニックになることなく、冷静に考えて避難することができました。
 避難は、上手くいかないことばかりでした。そんな中で、近所の方に車に乗せていただいたり、休む場所を提供していただいたりして、とてもありがたかったです。警察の方からパトカーで避難所に送ってもらうまで、たくさんの方に助けてもらいました。本当に、たくさんの方々のおかげで、無事に家族と避難することができました。
 後に「九州北部豪雨」と名付けられたこの災害の影響で、私の生活環境は一変しました。家には住めなくなり、母方の祖父の家に一か月避難しました。その後、祖母や伯父をはじめ、たくさんの人に手伝ってもらって、祖父の家に引っ越しました。避難中は気持ちがどこか落ち付かず、雨が降ると大人達が辛そうな顔をするのを見てとても胸が痛みました。二次災害にも遭って、一度綺麗にした床がもう一度浸水した時は、母の「今まで何をやってきたんだろうね……」というつぶやきが耳から離れず、気温は高くても心は冷めていました。
 負の感情が渦巻く私を、あの夏一番変えてくれたのは、ボランティアの方々でした。引っ越し先の倉庫にも入っていた泥水をかき出す時、ボランティアの方々が手伝ってくださいました。私も一緒に倉庫の中の物を出したり、泥を運んだりしていたけれど、たくさんの大人が働いている中で、自分は邪魔になっているのではないかと考えていました。そんな時、ボランティアの女性が私に声をかけてくださいました。仕事を任せてくださったのです。そのおかげでそれからの私は、自分から泥を運んだり水を流したり、お茶を配ったりすることができました。
 災害を通して、日頃の当たり前をたくさん失って初めて、普段と変わらない日常の尊さに気づかされました。そして、その日常を支えてくれていた地域の方々の力を感じました。だから私は、以前から夢だった地方公務員として市役所で働くことを、本格的に目指し始めました。この災害の中、生徒たちのために安否確認や避難場所の確保に多くの時間と労力を費やしてくださった先生方、避難指示を出したり、避難している人のサポートをしたり、今後の災害の対策をしたりしてくださった地方公務員の方々……。その姿に触れ、私も将来、自分を育ててくれた地域と、そこで暮らしている人々に、今度は自分が恩返しをする気持ちで、誇りをもって仕事をしていきたいと思っています。
 災害は誰のせいでもありません。直前まで予測をすることはできないけれど、備えることなら誰にでもできます。今回の経験を通して、備えておくことの大切さを身にしみて実感しました。「まさか自分が災害に遭うはずがない」という心の油断がリスクを生むのです。
 災害で私の住む地域は、過疎化が進んでいます。私は、たくさんの問題を抱えているこの朝倉市を支える存在のひとりになっていきたいです。将来そんな大人になるためにも、今から人を支えることのできる優しさや、物事を冷静に判断する力を身につけ、地域のことをもっと知り、そして何より勉強を今よりももっと頑張っていきます。
 私は、たとえ過去に辛いことがあっても、その先には必ず希望の光があることを信じています。

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