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「JA共済」小・中学生
作文コンクール

2018年度 第54回 受賞作品

全共連福岡県本部運営委員会会長賞

自分と向き合う

国立大学法人   福岡教育大学附属小倉中学校2年高山 彩音

 年末恒例の大掃除。毎年適当に終わらせてしまう私は今年こそは徹底的にやろうと思い、冬休みの初日に大掃除を行うことにした。
 初めは人に見られるようなベッドや机から。掃除が苦手な私はそこだけでもだいぶ手こずってしまい、かなり時間が経ってしまった。もう辞めてしまいたいと思う気持ちを押し殺し、棚の掃除に取り掛かろうと棚を開けてみると溜めに溜められ積み重なったプリントたちが。毎日見て見ぬフリを繰り返してしまった罰だ。何でも後回しにしてしまう自分が嫌になる。去年きちんと整理しておけばよかったと思いながら、プリントの山を棚から引っ張り出すと、奥の方に見覚えのない黒い箱が見えた。なんだろう、と思い取り出してみると、思ったより軽く、拍子抜けしてしまった。ティッシュ箱くらいの大きさとザラザラした感触、少しカビ臭くある程度の年月が経っていることが分かる。思いきって振ってみても何も音はしない。ますます見当がつかず、恐る恐る箱を開けてみると……四つ折りにされた一枚の紙。ひらくとそこには、今の私の字よりはるかに大きく汚い字で、十行程文章が綴られていた。
 「おおきくなったわたしへ
  いまどこでなにしてますか?
  なんさいですか?
  ゆめはかないましたか?
  もしかなっているならいまのゆめはなんですか?
  ようちえんはすごくたのしいです
  もうすぐわたしはしょうがっこうになります
  ともだちできたらいいな
  6さいのわたしより」
 六歳の自分からの手紙。書いた記憶がすっぽり頭から抜けてしまっている。八年も前のことだし、覚えていないのも無理はない。もしこのままこの手紙の存在に一生気付かなかったら……あの頃の自分が目にいっぱい涙をためている姿が容易に想像でき、途端に申し訳なくなった。小学生と書きたかったのだろうか、小学校と書いているところに幼さと愛しさを感じる。一体何歳のわたしに彼女は手紙を開けてほしかったのだろうか。彼女の夢はなんなのだろうか。たぶんお花屋さんとか、ケーキ屋さんなどだろうなと思う。その当時の記憶はとても曖昧で、あいにく手紙には彼女自身のことは幼稚園が楽しいことともうすぐ小学生になることしか書かれておらず、確証がもてない。自分からの手紙ってこんなにモヤモヤするものなのだろうか。
 そんなことを考えながらもう一度読み返すと嫌でもあの一文が目に入る。
「ゆめはなんですか」自分の夢ってなんだろう。聞かれてすぐに答えられない自分がもどかしい。やりたいこと、したいことは山ほどある。しかし、それを口に出すのがいつのまにか怖く、そして恥ずかしくなってしまった。いつからそうなってしまったのだろう。きっとこの手紙を書いたころは、夢について友達や親と語ることは日常茶飯事であり、夢という概念に少しも躊躇がなかったのだと思う。成長するにつれ、わたしは人の目を気にするようになった。このようなことを言ってできるわけがないと笑われてしまうのではないか、私の夢を聞いて何を思うのだろうか、こんなにも考えているのに結局聞き流されているのではないだろうかなど。人の目を気にしてはまだ起こってもいないことに怯えて、自分自身で可能性を塞いでしまっている。そのことに気付けてはいるのに……。
 また、夢について考えていると自分の夢があまりにもありきたりで自分はこんなにもつまらない人間なのかと自己嫌悪に陥ってしまう。心のどこかで面白い生き方をしてみたいという欲望があるのだろう。自分のことは自分が一番理解していると言うが、わたしは違うタイプみたいだ。自分のことを追究すればするほどどんどん深みにはまって抜け出せなくなってしまう。こうやって文章を書いている今も頭の中はいろいろなことで渦巻いている。まるで洗濯機みたいだ。出来事、知識、喜怒哀楽愛憎全てをごっちゃにしていらない汚れを落として、時には色移りして、自分に問いかけては自分で答えを出して最終的には整理して。結局人間は自分というそれぞれの世界でいきているのかもしれない。考え方だって様々だし、スピードもそれぞれだ。自分は少し遅い方だとは思うが、それでいいのではないか。
 ここまでの文章を読み返してみて初めて気が付いた。私、「夢」ちゃんともっているではないか。面白い生き方をしてみたい、と。

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