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「JA共済」小・中学生
作文コンクール

2018年度 第54回 受賞作品

全共連福岡県本部運営委員会会長賞

祖父の背中が教えてくれること

福岡市立  勝馬小学校5年上田 滉生

 祖父の後ろを、こしを下げながら進んでいく。まるで森の中に入ったようだ。顔を上げると、たくさんの丸いオレンジ色が、森を照らすライトのように輝いて見えた。今年も豊作だ。「よっしゃ。」甘夏みかん畑の入口で、ぼくは気合いを入れた。
 ぼくの住んでいる町「勝馬」は、志賀島にある。志賀島といえば海を思いうかべる人が多く、勝馬が農業の町だということはあまり知られていない。でも、大通りから一歩勝馬の町にふみ入れば、だれでも古き良き農村の風景に心がいやされるだろう。ぼくの祖父も農業をいとなむ一人だ。みかんやかき、米などを育てている。
 そんなわけで、今年も甘夏みかんを収かくする手伝いに来たのだった。祖父が慣れた手つきでみかんのヘタにはさみを入れていく。ぼくはそれを受け取ってコンテナの中にならべていく役割りだ。収かくしたばかりのみかんは、甘ずっぱい良いかおりを、辺り一面に放っていた。大きさはぼくのにぎりこぶし一つ分くらいだが、見た目以上にずっしりと重みを感じる。中に果肉がつまっているしょうこだろう。
「やさしく入れろよ。」
祖父が、ゆっくりと言った。ぼくは言われた通り、やさしくやさしくみかんをつめていった。
 ぼくは最初からこんなに素直に手伝いをしていたわけではない。小さいころは、同じ作業の連続がとても面倒で、いやいや山に出かけていた。小学生になって、総合の学習を通して、農業の後けい者不足の問題を知ることになった。そういえば、祖父はなぜ農業を始めたのだろう。ある日、初めて聞いてみた。
 祖父が農業を本格的に始めたのは十八才のころ。当時は仕事のかたわらで農業をしていたそうだ。最初は道具についても作物についても分からなかったそうだが、先祖代々受けつがれてきた土地のめぐみを絶やしたくないと、くり返し作業する中で学んだのだという。
 祖父がそんな思いで農業をしていたのだと初めて知った。また、生まれた時から当たり前のように通っていた田畑は、ぼくのご先祖様が、代々受けついできた歴史ある場所だったことも──。祖父や農業への見方が、がらりと変わったしゅん間だった。それ以来、いやいや田畑へ行くことはなくなった。
 最近、ちょっとうれしいことがある。弟が入らせてもらえない畑にぼくだけ入らせてもらえたり、かきちぎりの高枝ばさみや稲の脱こく機の動かし方を教えてもらえたりすることだ。なんだか祖父にみとめられているような気がして、胸を張りたくなる。祖父は、普段から農業について多くは語らない。でも、祖父が農業という仕事にほこりを持ち、ここ勝馬から、お客さんにおいしいものを届けるために一生けん命働いていることは、一番近くで見ているぼくがだれよりもよく知っている。そんな祖父の背中を追いかけていきたいと、今、強く思っている。
「やさしく入れろよ。」
この一言だけで、今のぼくには祖父の思い全てが伝わるのだ。

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