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「JA共済」小・中学生
作文コンクール

2018年度 第54回 受賞作品

福岡県教育委員会賞

AIと共に生きる〜平成、新しい時代へ〜

福岡県立  育徳館中学校3年八谷 美桜

 平成が、もうすぐ終わりを告げる。二〇二〇年には東京五輪、その五年後には大阪万博が控えている。そんな中私は、万博のイメージビデオを目にした。そこには数多くのAIやロボットが活躍する姿があった。小さくてかわいらしいものから、角ばった強そうなものまでが自由に動き回っている世界。時代の進化に本当に驚かされた。便利になったなあ、この先どんなAIやロボットが登場するのだろう。希望と期待に胸を膨らませる反面、私は少し怖くなった。
 例えば今から十年後、二十年後、もっと技術が進化したとしよう。そうすると、私たち人間は何もしなくてよくなり、仕事の需要もなくなるのではないだろうか。今すでにロボットは多くの工場や作業現場で活躍している。また、AIがロビーで受付をするホテルまである。AIやロボットが人の仕事をする。例えば、タクシーの運転手。確かに、無人タクシーになれば運転手とお客さんの間でトラブルが起きることもなくなるだろう。話すのが苦手な人はタクシーを使いやすくなるかもしれない。他にも製造業や介護の現場などでももっと役に立つと思う。最近はテレビ番組にAIのロボットが出ていることもある。私の大好きなお笑い番組もいつかはロボットがするのでは……そう思うと少し気味が悪くなってきた。
 確かにAIはミスをすることがないだろう。人とトラブルを起こすこともなく、効率も要領も良い。常に冷静でいられるのはAIならではだと思う。しかし、感情がない故に泣いたり笑ったりしないのは怖い気がする。物事に臨機応変に対応するのも難しく、何よりコミュニケーション力が人間と比べて乏しいのではないだろうか。私も実際パソコンでAIと話したことがある。暇潰しや興味本位で会話する分には良くても、相手の立場に立ったり、話す言葉を選んだりはしないAIとは接していて悲しくなった。喜怒哀楽を共有できない、その冷静さは少し冷淡にも感じる。また、AIは全てを鵜呑みにしてしまうので、私たちと当然本音で話すことができない。つまり、「人間味」がないのである。
 だからこそ今後、AIには代われないことがより重要視されると思う。芸能人や小説家もその一つではないだろうか。困っている子にいち早く気付き、声をかけられる教師や、長年の勘で病気を見つけられる医師は勿論、心理カウンセラーもAIには難しいと思う。また、警察の取り調べも、犯人かどうかといった真偽の見極めは人間にしかできない部分があるはずだ。
 AIやロボットはあくまで人々を助け、人々の生活を豊かにするためのものだと思う。最近は買い物に行っても、セルフレジをよく見かける。実際私の祖母も普段パソコンなどは苦手なのだが、セルフレジに関しては慣れた手つきで楽しそうにしている。セルフですることで「自分でする」ことが定着し、認知症予防にもつながる気がする。
 もっとも、AIをつくり出したのは紛れもない人間であり、それをうまく使いこなすか、飲みこまれてしまうかは私たち次第だと思う。AIの良い面と悪い面をまず知ること。そして、人類を脅かしそうだから排除するのではなく、私たちが楽ばかりできる生活に走るのでもなく、AIの便利さを認めたうえで適材適所でうまく活用すること。「AIと共に生きる」方法を考えていくことが大切なのではないだろうか。
 人は誰しもいつかは死んでしまう。しかし、AIやロボットには「死ぬ」ということはないかもしれない。だからそれまで一生懸命に生きようと思うことも、限られた時間をどのように生きるかを考えることもないはずだ。そんな中いつか自分の命の儚さに気付き、大切に生きようと思えるのは、私たち命あるものの特権ではないだろうか。だからこそ私は、戻ってこないこの瞬間を逃さず掴み、自分の生き方についてもっと真剣に考えていきたい。そして、限りはあってもかけがえのない命ときちんと向き合いたいと思う。一般的に「悔いのない人生を」とは言うけれど、私はそうは思わない。「あのときこうすれば良かった」と後悔しても、「次はこうしよう」と前向きに生きる力をもつことができるからだ。今まで私は後悔したくないばかりに優柔不断になってしまうことがあった。しかし、悔いがあるのも人間らしくて良いなと思えるようになった。そこからまた新たな発見や出会いがあるかもしれない。
 平成が、もうすぐ終わりを告げる。少なくとも二つの時代を生きる私は人間らしい、誰にも真似できない生き方をしていけるだろうか。溢れんばかりの希望と期待を胸に、新しい時代が、もうすぐ始まりを迎える。

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