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「JA共済」小・中学生
作文コンクール

2018年度 第54回 受賞作品

福岡県教育委員会賞

我が家のおせち

豊前市立  八屋中学校2年小笹 康汰

 「おいしい。」
また祖母の「なんこつ」が食べられる。「なんこつ」を、口に入れると、その瞬間、しょうゆの香りが口の中いっぱいに広がり、長く煮込んだ身と骨は、とろけてほろほろと、くずれていく。そして僕は、これを食べることでお正月が来たことを感じる。僕の忘れることのできない食べ物だ。この料理は、とても長い時間手間ひまかけて作られている。長い時間、煮込み続けることがあのやわらかさを生み出しているのだろう。そして、祖母は、使う調味料にこだわりがある。例えば、しょうゆ。なんこつを作るときに使うしょうゆには、どこにでも売っているものなどではなく、ある地域だけで作られている特別なものを使っている。
 このこだわりと時間のかかる「なんこつ」を、僕の祖母は、正月になるといつも作ってくれた。
 僕の祖母は、何にでも挑戦する人で、いつもいろいろなことをしていた。そんな祖母が一番得意なことは料理だった。いつもいろいろなものを作っては、みんなに食べさせてくれていた。そしてその中でも祖母の得意料理は「なんこつ」。正月になるといつも朝早くから作りはじめて、昼ぐらいに完成する。この料理は、我が家のおせち料理の定番で、重箱には、必ずといってもいいほど入っていた。僕の中では、「なんこつ」は、この家の味と思っていた。
 しかし、この「なんこつ」の作り方は祖母しか知らなかった。僕より作っているところを見ているはずの祖父や父でさえも知らなかった。
 そこで、母は「なんこつ」をいつでも作れるように、レシピを教えてほしいと祖母に頼んだことがあったそうだ。祖母はいつも優しくて何でも答えてくれるのに、
「これはまだ教えられない。」
といって教えてくれることはなかった。僕は不思議でならなかった。
 そして、それから数年がたったある時、祖母は、いつものように料理を始めた。
「今日は、どんな料理を作ってくれるのだろう。」
 僕はわくわくしていた。そんなときだった。祖母は母を呼んだ。一緒に作っているところを見て、僕は驚いた。祖母は母になんとあの、「なんこつ」の作り方を教えていたのだ。どんなに母が頼んでも、教えることはなかったのに、なぜ突然母に教えようと思ったのだろうか。僕はとても不思議に思った。具材の量から、使う調味料の量まで事細かに、母のメモには、びっしりと文字が書かれていた。やはりあのおいしさには、たくさんの秘密があったのだとメモを見て実感した。
 その年の正月、祖母が毎年作ってきた「なんこつ」をその年は、母が作った。祖母にも味見をしてもらいながら、ようやく完成した。母の作った「なんこつ」は、祖母の作る「なんこつ」と変わらないぐらいにおいしかった。あの香りとやわらかさ、なんこつの特徴が、しっかりと出せていた。しかし、やはり何かが違う。母の作ったものは、レシピどおりで祖母の作り方と同じはずなのに、祖母の「なんこつ」には、母のとは違う何かがあると感じた。でもそのときの僕はそれほど大きなこととは考えず、とろける「なんこつ」をほおばりいつもの正月を過ごした。
 それから数ヶ月後。突然祖母が亡くなった。あまりにも突然だった。祖母が僕にしてくれたいろいろなことが、次から次から頭にうかんでくる。祖母から何もしてもらえないだけではない。もう話をすることさえもできなくなった。あんなに料理の上手だった祖母の作る「なんこつ」は、もう口にすることはできない。祖母も自分の命の長さを、無意識にさとったから、母に作り方を伝えたのだろうか。祖母のことを思うと本当にさみしくてさみしくてたまらない。しかし母が祖母の味をしっかりと受けついでくれたので今年もまた大好きな「なんこつ」を口にすることができた。おいしいけれどやはり少し祖母の「なんこつ」とは違う。口にはしなかったが心の中でそう思っていた。
 これから正月の「なんこつ」は母が作ってくれるだろう。とろけてほろほろとくずれていくあの「なんこつ」を口にするたびにあの優しい祖母を思い出すだろう。きっと僕は、「なんこつ」が好きだったのではない。祖母の愛情がたっぷり込められた「なんこつ」が好きだったのだ。
 「おばあちゃん今までありがとう。おばあちゃんのおいしい料理で僕はこんなに大きくなったよ。これからもいろいろがんばるからね。」
 心の中でそうつぶやいた。

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