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「JA共済」小・中学生
作文コンクール

2018年度 第54回 受賞作品

福岡県知事賞

言葉では伝えきれない「ありがとう」

糸島市立  志摩中学校2年坂本 光優

 「お姉ちゃん。」その声を聞くだけで、笑顔になれる。顔を見るだけで元気になれる。
 私には、五歳離れた現在小学三年生の妹と、八歳離れた今年四月から小学校に入学する妹がいる。
 私が小学二年生のとき、母のお腹には二人目の妹がいた。早く会いたい、抱っこしてあげたい、面倒をみてあげたい。心待ちしていたその年の秋、私は小児急性リンパ性白血病を発病した。私の病気がわかったとき、母は妊娠八ヶ月、五歳離れた妹は二歳だった。病名を告げられ、入院することになった私を、病院に残し、家に帰る車中、二歳の妹は、信号機が青に変わる度に、「青が好き、青が好き。」と、家に着くまで言っていたそうだ。泣きながら運転していた父も、不安な気持ちで、大きなお腹をさすっていた母も、車中に響く、妹の「青が好き。」という言葉に救われたそうだ。
 次の日、病院の先生から、病気のことや治療方法などを説明された。「何か質問はありますか。」と聞かれ、一番気になっていたことを、聞いてみた。「いつ退院できるんですか。」先生は少し間を置き、母の大きなお腹を見ながら、「お母さんのお腹にいる赤ちゃんが産まれて、離乳食が食べられるようになるくらいまでかな。」と話してくれた。「長い。産まれたばかりの赤ちゃんも抱っこできないのか。」と、気付いたら泣いていた。治療が始まり、抗がん剤で髪の毛が抜けた。その姿を見て、二歳の妹が、「私の髪の毛をお姉ちゃんにあげたいから、私の髪を切って。」と言ったと聞き、妹の優しさに、前に進む勇気をもらった。
 母のお腹にいた妹が離乳食を食べ始め、五歳離れた妹が三歳のとき、退院した。退院後も、通院しながら治療は二年続いた。薬の副作用で、イライラし、当時、そのイライラを、五歳離れた妹にぶつけていた。妹は「薬のせいだから、お姉ちゃんが悪いんじゃない。」と受け入れてくれた。今思えば、小さな妹に私は、甘えていたのだ。
 小学六年生のとき、再発。また長期入院を、することになった。五歳離れた妹は、小学一年生だった。学校で将来の夢を発表する授業があり、妹は「私は将来、看護師さんになりたいです。理由は、私が看護師さんになって、お姉ちゃんの病気を治してあげたいからです。」と発表したそうだ。「あんなに、つらく当たったのに。」私のために、看護師さんになりたいと思ってくれていると知り、胸がいっぱいになった。骨髄移植をし、無事退院。退院後、指先に力が入らず、制服のボタンがなかなかとめられなかった。八歳離れた妹が、「私がお手伝いしてあげる。」と、ボタンをとめてくれた。体力がない私の荷物を持ってくれた。妹たちの優しさが、私を元気にしてくれた。
 しかし、中学一年生のとき、また再発し、入院。八歳離れた妹は五歳だった。保育園から、七夕の短冊に願い事を書くために、妹が、短冊を二枚持って帰って来たそうだ。一枚には、「プリキュアになりたい。」と書き、残りの一枚に「おねえちゃんのびょうきがなおりますように。」と書いて、保育園へ持って行ったそうだ。「私のせいで、淋しい思いをしているのに。」二つしか書けない願い事の一つを、自分のためではなく、私のために使ってくれたことを知り、熱いものが込み上げてきた。
 闘病中、よくテレビ電話で話をした。「お姉ちゃん頑張って。」何度も元気づけてくれた。テレビ電話に映った母を見つけても、「淋しい。」とも言わず、元気に手を振ってくれた。きつくて、つらくなると、「早く元気になって家に帰り、妹たちに会いたい。」と頑張れた。
 私は、現在までに、長期入院を三回経験している。「入院です。」と言われ、まず浮かぶのは、妹たちの顔。「またつらい治療に、耐えなくてはいけないのか。」と思うよりも先に、「また妹たちから、母を取り上げてしまう。」と思い、心が痛む。しかし、つらい治療を乗り越えるためには、私には母の付き添いが必要だった。妹たちはまだ母と一緒にいて、たくさん甘えたい歳なのに。妹たちに申し訳ない気持ちで、いつもいっぱいになる。「入院です。」と言われ、涙が出てくるが、入院するのが、つらいから涙が出るわけではなく、妹たちに申し訳なく、涙があふれてくるのだ。私のことを、大切に、思ってくれている妹たち。入院し、離れていても、心だけは絶対離れないと信じることができた。そして今年一月、無事退院できた。
 私が闘っている病気は、私一人で闘ったものではない。妹たちをはじめ、たくさんの人たちに支えられて、今がある。「ありがとう」この言葉だけでは伝えきれないほどの感謝の気持ちでいっぱいだ。繋いでもらった、この命。「私が元気に生きていくこと」で、言葉では伝えきれないたくさんの感謝の気持ちを、伝えていきたい。妹たちと離れていた時間を、取り戻すことができる喜びをかみしめながら、一日一日を大切に、今を一生懸命生きていく。

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