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「JA共済」小・中学生
作文コンクール

2018年度 第54回 受賞作品

福岡県知事賞

自分との戦い

久留米市立  田主丸中学校1年林田 美智子

 「お願いします。」
始めの挨拶。そして、筆に墨を馴染ませる。右手に持った筆にはプレッシャー、不安、緊張……たくさんの思いがつまっている。今日も上手く書けないのだろう。
 あたかも予想しているかのように、そんなことを考える自分はどうかと思う。
 私は小学一年生の頃から習字を習い始めた。きっかけは、きっと姉の影響だろう。そして、私は物心がついたときから左利きだ。この左利きを周りの人からは、
 「左利き、いいな。」
とよく言われた。この世界には大半の人が右利き。だからこそ、少数の左利きが右利きからしたら羨ましいと思うのかもしれない。だが、私としてはこの自分の利き手が好き、とは思えなかった。理由は至って単純である。それは、パソコンのマウス、駅の改札、自動販売機のお金投入口、そして横書きのノート、日常にある、ほとんどの物は右利きが使いやすいようにつくられているからだ。逆を言うと、左利きはとても不便なのだ。そんな私は習字では右手で文字を書いている。これも特別な理由はない。ただ、母が先生に右手で書かせてくれ、と頼んだのだ。
 習い始めたばかりのころは、もう苦痛でしかなかった。毛筆はまだしも硬筆は手に力が入らず、鉛筆の濃さは薄く、字形は乱れ、基本の「止め、はね、はらい」ですらも手に負えないほど。頭の中では、こうしなきゃ、ああしなきゃ、と必死になって考えているのに思い通りに書くことが出来ないのだ。
 習字を習いに来ている周りの生徒さんたちは手本と等しいほどの字を書いている。その字と私の字は……。まさにこれを雲泥の差というのだろう。
 自信の無さで溢れている私の字。そんな字を誰にも見てほしくないくらいだった。だから、紙で隠したり、納得がいくまで何回も何回も書き直したりした。見比べてほしくなかったのだ。祖母が私の書いた字を掛け軸にかけることも度々あり、「やめてほしい。」と決して口にはしなかったが、心のどこかで密かに思っていた。私の字なんて人に見せなくたっていい。自分で価値を捨てたようなものだ。
 どうして、上手くいかないのだろう。練習が足りないのか、それとも実力が足りないのか。その答えは考えれば考えるほど自分から遠ざかっていくばかりだった。
 いつしか、右手で字を書くのが怖いと思うようになった。そんな私に光を差してくれたのは先生だった。
「先生に見せに来ないで、ずっと一人で書いてたら、それが癖になっちゃうよ。」
「嫌だ嫌だ言って適当に書くよりも一枚だけでもいいから一生懸命書いた方が絶対に良い。」
先生の語りかける言葉はどれも納得するものばかりだった。それから、一枚一枚、時間をかけて書き続けた。そしてあれだけ嫌いだった自分の字も少しずつ好きになってきたのだ。その時、字を書くことが楽しいと初めて思った。書けない、書けないと諦めかけていた今までの自分を情けなく感じた。もしかしたら上手く書けるのかもしれないという小さな確率を自分で潰してしまっていたのかもしれない。これからはそんなことはしない。絶対に。
 字を書き続けた結果、その努力が実を結んだのかコンクール、大会で賞状を頂くことが多くなった。だが決してそれはトップの賞ではない……ということは、まだまだ頑張るべきだ、そう誰かに言われたような気がした。
 私は字は大人になっても一生使うものだと思っている。人とやりとりをする時、記録を書き残す時……。たくさんの場面で使われている字。雑な字で「ありがとう」と書かれるよりも、きれいで丁寧な字で「ありがとう」と書かれた方が、書いた方も書かれた方も、嬉しいのではないだろうか。
 だからこそ、私はもっともっと人の倍、練習をしていく。
「お願いします。」
いつもの挨拶を終え、目を手本と半紙、交互に見ながら、筆を半紙に滑らせる。明らかに昔よりも上達した字。それを見るだけで字を書くことを誇りに感じた。
 「もう字を書くことなんて、怖くない」と、思った。すると半紙の字が、キラキラ光って見えた。

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