2017年度 第53回 受賞作品
全共連福岡県本部運営委員会会長賞
目標あるドライブ
久留米市立 田主丸中学校3年林田 育子
顔立ちに比例するかのように出るまるみのある声で私を呼ぶ。
「いっこ、いくか。」
油を引いたように光る汗を粗い目のタオルで拭きながら。その声を待っていたかのように
「うん。」
とたったの二文字に張り裂けそうな喜びをつめこんで応えた。そうすると祖父は決まって糸のようにして目を細めて笑う。あてもなく始まる祖父と私のドライブ。軽トラックに乗る。それは白というよりもグレーに近い色。真夏の日ざしで蒸しきったその中は独特の土臭い匂いが漂っていた。こもった熱気と土臭い匂いを取り除こうと私の小さな両手で固いハンドルを回して窓を開ける。車に揺られながら夏の涼しい風を浴びてたわいもない話をするこの時間が好きだった。
私はそれから中学校へと入学した。小学校とは違う宿題の量と毎日休みなく続く部活動に追われる日々。定期考査で良い点をとれなかったり、テニス部で大会のメンバーからはずされたり。何もかも空回りする。すかすかだった箱の中に溜まり積もっていく苛立ち。煮えたぎるような苛立ち。その箱はもう収まらなくなり張り裂けた。
「うるさい!」
「わかっとるけん黙っててよ!」
部活動から返ってきてポンッとソファーの上に置きっぱなしにしていたラケットを見て祖父が、
「これ、なおしてこんね。」
と言った。昼食を食べ終えてから片付けようとしていた私に反抗してくるかのように私には聞こえてしまったのだ。その時の祖父の表情は変わらず笑顔だった。ひどいことを言ってしまったのに微笑み返してきて心が痛くなった。
これが原因で祖父と話すことが減ってしまった。自分が祖父をさけるようになってしまったのだ。一日中祖父と目を合わせない日も少なくはなかった。
ある日、めったに休みなんてない部活動が休みだった。ギラギラに照りつける太陽に溶けそうなほど暑い日。外へ行くのさえも面倒でクーラーの付いた部屋でごろごろしていた。久しぶりに聞こえるまるみのある声。
「いっこ。」
聞こえているけれど、わざと聞こえていないふりをして声のする方に背を向け寝返りをうつ。さっきよりも大きく聞こえる声。
「いっこ。」
久々に話をしてどんな顔をすればよいか分からず、とりあえず声のする方に顔を上げる。その声の主はやはり祖父だった。
「ちょっと行かんね。」
と白い歯を見せながら言う。急な誘いにどうすればよいか分からずまた曖昧に
「うん。」
とこもった声で応えた。
変わらず薄汚い軽トラックに乗る。いつもは恥ずかしくて乗らなかったから何年ぶりだろう。ドアを開けると中につめこんであった熱気が一気に飛び出す。まるでサウナのようだ。乗ると漂う懐かしさを感じる土臭い匂い。そんなことを思いながら車に乗り込む。会話もなくこの空間から消えたいと思い、逃げるように窓の方に身体を向ける。鉛筆で塗りつぶしたように光るアスファルト。そこからは日ざしに温められ立ち昇っている陽炎。ふと前を見ると現れる大きな道。何回も通ったことのあるのに今は何か引っかかるものがあるように感じる。ゆっくりと頭の中をかきわけるとあと少しで届きそうな光るもの。腕を精一杯伸ばそうとした時。いきなり前の記憶がフラッシュバックした。夏の肌を差すような強い日ざしに当たり軽トラックで走る道。まだ舗装されていない道に揺られる幼い頃の私。その隣でタバコを口にくわえ運転する祖父。二人で分け合った喉の奥で爽快にはじける甘いラムネ。出来事が写真のように一枚一枚とゆっくり映し出された。舗装されていない道路なんて今はもうない。揺られることもない。滑らかに走る車のタイヤ。分け合うことすらできない小っぽけな私の心。ただ一つ変わらずにあるものは、祖父の優しい笑顔。
あてもなく始まった祖父と私のドライブ。今の私には進路獲得へ向けて走るドライブ。私は、まだガタガタで安定していない道路そのものだ。たくさんの試練にぶつかって少しずつ滑らかにしていく。夢という名の目的地に向かい車を走らせる。
寒い朝、かじかんだ手をそっと仏壇の前で合わせる。そして、マフラーで鼻と口を覆い、重いペダルをこいで学校へ向かう。その時、まるみのあるあの声が私を呼んだように感じた。