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「JA共済」小・中学生
作文コンクール

2017年度 第53回 受賞作品

福岡県教育委員会賞

私の「柿生活」

国立大学法人  福岡教育大学附属小倉中学校2年釘本 真佑

 「おばあちゃん、これ、どうやって作ってるん。」

小さい時、私は祖母にこう尋ねた。私の手の中にあったのは、一つの干し柿。祖母はこう答えた。

「時間をかけて、一生懸命作ってるんよ。」

確かに。干し上がるまでにもちろん時間はかかるが、柿の下準備にも相当な時間がかかる。好きすぎて一度、作り方を調べたことがあり、覚えてしまった。それほど私は祖母の作る干し柿が大好きだった。今はもう作らなくなってしまったが、祖母が知り合いからもらった柿で作るあの甘い甘い干し柿の味は、今でも鮮明に思い出せる。どうしてももう一度食べたくて、祖母にこう言ったことがある。

「スーパーの柿でいいやん。作ってよ。」

すると祖母は、

「どの柿でもいいわけじゃないんよ。」

と答えた。よく分からなかった私は、

「ふうん。」

とだけ言った。

 それから少しして、どうしてもまだ諦めきれず、干し柿について調べてみた。すると、小さい時は見逃してしまっていた、

「渋柿でないとおいしく仕上がりません。」

の文字。そうだったのか。だから祖母はああ言ったのか。なんだか恥ずかしくなり、もう

「作って。」

とは言わないようにした。

 それからまた少しして、こんな記事を見つけた。

「あなたをフルーツに例えると!?」

なんだか興味がわき、診断スタート。いくつかの質問に答え終わり、「診断終了」の文字。見ると、

「自己主張の強いあなたは、まさに柿です。」

という結果。自己主張が強い?私が?自覚はないのに。なんだかモヤモヤしてきて、そのまま布団に入った。なかなか寝つけなかった私は、ボンヤリこんなことを考えていた。

「私が、柿。でもなぁ。なんか、違うよなぁ。柿にふさわしいのは、どんな人だろう?甘くて、みんなから愛されて。」

いつの間にか寝てしまっていて、目が覚めたら朝だった。その日も考え続け、お風呂に入ろうかというとき、はっとひらめいた。

「そうだ、私はやっぱり柿じゃない。柿は、優しくてみんなから愛されるような人のことをいうんだ。私は全然、優しくなんかない。」

結論は出た。しかし、診断したあの日からモヤモヤが晴れない。どうして?一人、考えた。優しいという自覚がないだけかも。誰かに聞いてみようか。でもそんな恥ずかしいことはできない。どうしようか。

 私が出した答え、それは、

「自分から柿になること」

簡単なことだ。自分で納得できないなら、納得できるようになればいい。その日から、私の「柿生活」がスタートした。少しでも優しく、そして愛される人間になれるように。だが、私の目指す姿は「柿」ではない。私の大好きな「干し柿」だ。どうせ目指すなら。もっと甘く、もっと愛される干し柿にしよう。そう思ったからだ。

 柿生活初日。その日は、部活動だった。ほとんど話したことのなかった後輩と話してみた。その後輩との話はとても楽しくて、盛り上がった。後輩も笑顔で話してくれて、なんだか干し柿に近づけたような気がした。

 柿生活二日目。部活動が休みだった。久しぶりの家で過ごす休日。いつもは照れくさくてなかなか話せない母とたくさん話をした。勉強のことや部活動のこと。母の話も聞いた。仕事で疲れているみたいだった。その日の夜、幼稚園のとき以来に肩もみをした。母は笑

「ありがとう。」

と言ってくれた。疲れに気づいてあげられなかった自分が情けなくなった。だが、これからは、人の悲しみや疲れにすぐに気づける人になろうと思った。

 私は今、まだまだ干し柿にはなれていない。だが、日々の生活の中で少しずつ甘くなれていると思う。間違った選択をしてしまう時もあるが、その時はみんなが教えてくれる。そんな友達を持てたことに感謝したい。

 これからも私の柿生活は続いていく。いつ終わるかは分からないが、その時はあの診断を胸を張ってみることができると思う。その日がくるまでは、私はまだまだ渋柿だ。

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